ブログと承認欲求

基本的に、一般的なSNSは、「つながりの強さ」を可視化する仕組みを備えている。これを持たないSNSはないのではないかと思うくらいだ。自分がどのくらいの賛同を得ているのか、または反対を得ているのか、客観的な数字で示されるようになっている。

Twitterでリツイートやお気に入りの数を得たいと思ったことがないのでよくわからないのだが、一般的にはRTやFavを得ることは大事なことらしい。フォロワー数を誇る向きもあるようだ。挙げ句の果てには、フォロワーとフォロー数の比が大事になったりもするらしい(フォローされたらフォローする、という暗黙の了解があるため、フォロー数を伸ばすと自動的にフォロワー数も伸びていくことが多い。従ってフォローしてないのにフォロワー数が伸びていく=人気がある、という認識のようだ)。不自由なことだと思わないでもない。

なぜインターネットででも人間関係に縛られたがるのか。そうやって人気を得たいのであれば、まるで株価を監視するかのように、気を抜くことが出来ないはずだ。Twitter疲れという言葉があるが、無理もないと思う。ヘタをすると、現実よりも疲れるのではないだろうか。

そうまでしてTwitterを続ける理由は何だろう、と考えると、おそらく承認欲求にもとづいて行動しているのだろうな、と思う。認められたい、認められれば数字が伸びていく、という、ある意味シンプルな評価だ。SNSの周辺を見ていても、結局のところ、人間はどこにいても、何をやっていても、本当の意味で人間関係から自由になることはないのだろうと思わされるのである。

メディア自体は、自作ホームページ、ブログ、SNSと変遷してきているが、おそらく本質は変わらないのだろう。キリ番とか云って、懐かしいなあ。