地デジが始まった頃から、テレビを所有していない。とくに困ったことはないので、テレビがないと困るというひとの気持ちがまったくわからなかった。そもそも一人暮らしを始めた時にテレビを買ったのも、「なんとなくそこにあるもの」だったからで、冷蔵庫や洗濯機のように、とくに役割があったわけでもない。昔からテレビをあまり見ない子供だった気がするが、とくに嫌いだったという記憶もない。
私にとってのテレビの役割は、(分野に限定されず)情報の収集なのだろうと思っている。ただし、ニュースなど、情報の収集という観点においては、ニュースサイトにアクセスして文章で読むほうが何倍も短時間で、要点を掴むことができる。識字率が高い日本という国では、ほとんどの人がそうであるはずだ。動画でみるよりも、文章の方が圧倒的に伝達効率がいいのである。客観的な事実だけを知りたいなら、ニュースサイトを見る方が手っ取り早いし、ほかにも疑問に思ったことを追加で調べたりすることも容易にできる。ダラダラと流れてくるものを受け取るだけの時間は単純に無意味だし、情報の主導権を明け渡すだけだと思えたので、試しにやめてしまったら、何の問題も起こらなかったのである。そのままテレビのない生活を行い、やはり何の問題も起こっていない。
何が云いたいかというと、情報収集の観点において、「テレビは生産性が低いメディアである」、ということだ。私の中では、この点で、テレビはオールドメディアだと認識している。この生産性の低さは相対的なもので、情報を収集や周知の手段の主流がテレビであった時代において、テレビはなくてはならないものだった。では、新聞はどうだろうか?このように書くと新聞のほうが効率が良いように思えるが、私自身は「検索できない」という点において、やはりオールドであると感じている。検索できるようになった新聞が、いまのテキストベースのニュースサイトである。テキストベースの場合は検索できることが必要で、それが電子化の意義の一つだといってもいい。むかしよくあった、わざわざ紙で出力してスキャンする議事録など、論外である。
画像には画像の良さがあるので、べつに腐すつもりはないのだが、単純に、これからも私がテレビを購入することはないだろうなと思う。唯一困るのは、流行りのドラマとかが見れないことだったが、それも動画配信サービスの隆盛と共に解決してしまった。私にとってたいへんありがたいことだが、なんでもかんでも効率化するのも寂しい気がしてしまうなぁなどと、本屋をぶらぶら歩きながら適当に本を物色しながら思うのである。