果たして内製は最適解か?

プログラミングって、めんどくさいよね?

だからというわけではないが、基本的に汎用性のある道具は作らない。自分が使えればそれでよい、という姿勢で作る。エラーチェックはいっさいやらないし、深く考えて設計しない。自分の腕では、どうせ深く考えたところで、かかったコストがメリットを台無しにしてしまうので、思いつきレベルのものしか作らない。その代わり、思いつきレベルで明らかにメリットの出るものを作る。

そもそも汎用性のあるツールを自作するのはやめたほうがいい、というのが、最近の結論である。内製できるスキルは必要だが、コア業務に食い込むところは、そもそも論的に金出して買いましょうよ、保守サービス付きで、という議論をすべきである。担当者がいなくなったら業務がコケる、という状態は笑えないし、そもそもコア業務に金を出せない組織は、投資先を間違っている、もしくはもうちょっと体力をつけたほうがいい、ということになる。内製して成功するケースももちろんあるが、(優秀な人材に頼るという点で)属人的である。

さいきんマクロ関係で相談を受けたが、そもそも何を伝えたらいいのかわからない、相談するためには何を伝えたらいいのか教えてくれ、という有様だった。そこまで面倒を見る気はないので、そもそもマクロ関係はわからないし(事実)、業務範囲外だから(事実)、自分たち(というか、前任者)でつくった業務マクロは自分たちで面倒みてくれ(当然)、わしゃ知らん(無情)、ついでに云うと我々も知らん(ああ無情)、と云って断った。ガラガラポンで結果が出てくるようになっていたみたいだが、そもそも中で何をやっているのか誰も説明できず、どういうデータを突っ込んだらいいのかについても、「あのシステムが出してくるデータ」くらいでしか把握されていなかった。怖すぎる。軽くホラーであった。でもそんなことはいくらでも転がっているのが現状である。いやあ、病院ってホラーだよね。

前からずっと、このままだとRPAは日本の現場を滅ぼすぞ、と書いているが、いっそうその思いを確かなものにしたものである。
ミキサーに野菜を入れても野菜ジュースができなかったから面倒みてくれ、と云われたら、誰でも面食らうでしょ?

言葉を信用してはならない

行き違いはとても多い。言葉を使ってやりとりをしているのに、なぜこうなるのだろう?
答えはとてもシンプルだ。言葉の解釈が一致していないからだ。

何にもよらず、「打ち合わせ」を行う時、相手の言葉を信用しないようにしている。これはシステム業界に片足を突っ込んでから半年くらいで身についた、哀しい習性である。しばらく言葉にできなかったのだが、ようするに、言葉の端々に、誤解を招く表現が、それもかなり頻繁にすべりこむため、結果として、信用できない、ということだ。打ち合わせの相手に信用がないわけではない。

たとえば、

  • システム的な変更はありません
    • 把握されている重要だと思われる設定の中で、変更が加わる箇所はありません、の意訳。
    • いうまでもなく、把握されていないけど重要な箇所が変更になっている可能性がある。往々にして、それがトラブルの元になる。

抽象的な表現は云うまでもなく、定性的な表現でさえ、トラブルの元である。「ちょっと」とか、「けっこう」とか、「すごい」とか。日常会話の端々に、こんな表現が混じる。日常会話の延長で打ち合わせをすると、必ず認識に齟齬が出る。

そうなることがわかっているから、打ち合わせの時には、かなり厳密に言葉を確認する。おかげで、心配性キャラ扱いされているようだ。

敢えて云ってしまうが、炎上してから消し止めるのって、名誉でもなんでもないからね?

twitterを鵜呑みにしてはいけないシンプルな理由

(結論)twitterのタイムラインには、自分とよく似た指向性を持つひとが流した、自分が「見たい」情報が流れる。だから鵜呑みにしてはいけない。

所詮道具なので、使い方次第であることは最初に断っておくが、基本的に、twitterのタイムラインには、自分が見たい情報しか流れない。そして、ひとは見たい情報には食いつくが、見たくない情報は無視する特性を持っている。これは人が生来備えているバグのようなもので、油断していると万人がひっかかってしまう、とても高度なトラップである。例えば、twitterに貼ってあるyoutubeのリンクをたどって出てきた動画、その動画を見て次におすすめされた動画も同じようなことを云っていた、というコンボで、「みんなそう云っている」系の錯誤に陥るひともいるようだ。ただでさえひとは見たい情報しか見ないのに、twitteryoutubeも、そのひとの指向を解析して、見たいものを勧めてくる仕組みを持っているため、これらのメディアを鵜呑みにしてはいけない。ひとをだますのは至極簡単である。

twitterはブランド力を作るのには非常に向いていて、twitter上での有名人、なんて不思議な生き物が成立するのは、twitterの基本的な仕組みに原因がある。ひとは自分が読みたいからフォローをするのであって、そもそも自分にとって好ましい情報しか流れてこない。twitterを参考に、答えを得ようとするとどうなるか。答えは探すものではなく、考えるものである。自分の頭で考えろ、と云いつつ、答えはこれですよ(とかいって、少し調べただけでわかるようなばかばかしい内容を勧めてくる)、みたいな動画が溢れているが、「見たい情報から逃れられない呪縛」がいかに強いかという、よい証左だろう。

twitterは自分の見たい情報しか流れてこない。したがって、鵜呑みにしてはいけない。

医療現場にRPAは有効か

(結論)短期的には有効、長期的には無効。問題を先送りにするだけで、害悪ですらある。

RPAが取りざたされて、消えていこうとしている(気がする)。気がする、と書いたのは、そもそももう興味がなくなってしまったので、情報を追いかけなくなってしまったからだ。RPAの意味が分からない人にはそもそも意味をなさない記事なので、RPAが何なのかは書かない。書きたいことでもないし。

めんどくさいが時間がかかる定型作業をソフトウェアに任せて、オペレータはもっとクリエイティブなことをしようぜ、というのが、RPAを活用するときの基本姿勢である。これを、職種を問わず「現場」に適用しようとしたとき、何が起こったのか。「RPAがあるから、何か自動化しよう」である。RPAがあるから、自動化できることを探し始めたのだ。

本質的には「逆」なのであることを云うまでもなく、何かやりたいことがあるからRPAを使って実現しよう、実現の助けにしよう、でなければならない。これは絶対条件である。

  • そもそもRPAは現状の定型フローを自動化する。定型フローが無駄に満ちていても、それを無理やりにでも自動化する。
  • 結果、制度がRPAになじまない複雑な状態のまま、RPA化される
  • RPAが吐き出す結果を、誰も検証できない、という状態に陥る。
  • RPAが出すこそが正しい、という責任転嫁が起こる。

最終的には、現場の思考が失われる。

医療現場でRPAがなじみにくい理由は明白で、そもそも医療事務の根幹である診療報酬体系そのものが、デジタルに馴染まない構造をしている。したがって、RPA化できるロジックが作れない。制度そのものは現場レベルで変えることができず、RPA化もすこぶるしづらいので、医療現場でRPAが定着し、隆盛する可能性はそもそも低い。

RPAではなく、根本からやりなおす必要があるが、そもそも根本を触れない、というのが、医療事務の抱えるジレンマである。同じ構造を行政手続きも抱えており、もっと云えば、一般企業であっても老舗は変えられない制度を大量に抱えているはずだ(これは労働者の既得権益に由来する。支給条件が複雑な手当などが該当する)。

日本がこのままRPAを推進すると、とんでもないことになるよ、というのが、正直な感想である。

ドキュメント

ドキュメントやマニュアルの大半は役に立たない。体裁が整っていることしか褒めるところがないドキュメントもいっぱいある。読まなくてもわかることしか書いていない絶望的なドキュメントもあれば、読んでも理解できる人がいない、歯抜けだらけのドキュメントもある。
つくづく、ドキュメント作成は、サイエンスに基づいたアートなのではないかと思う。つまり、センスがないと時間だけが浪費され、作る人、読む人、全員が不幸になる。

ドキュメントがそろっているかどうかも、わりとセンスを要求される気がする。これだけだと何を云っているのかわからないが、つまり、必要なことを、必要なだけ、過不足なく、ということだ。抜け漏れダブりなく、要件をリストアップできるというのは、立派な能力だ。たとえば、カレーを作るのに必要な食材を、料理をしたことがない小学生に買いに行かせるシーンを考えてみる。このお使いが成功するかどうかは、買い物にいく小学生の能力ではなく、買いに行かせる側の能力が問われているのは、ほぼ自明であろう。カレーを作るために必要だと考えているものを、抜け漏れなく、伝える技術。抜け漏れなく伝えて、はじめて前提が整う。仮に、買ってきたものでじゃがいもが抜けていたからといって、買い物に行かせた小学生を責めるのは筋違いであろう。・・・じゃがいも、カレーに入れるよね?

ドキュメントを見ない人もいる。過去に不幸な体験をしたのであろう。そういうひとが作るドキュメントはさらに不幸を生み出すので、不幸は連鎖するものだなあ、と思わないでもない(どーでもいい)。

リスクはコストである

リスクはコストである。以上。

ITベンダに、なんだかよくわからないものを、「作って(はーと)」とお願いすると、マージン増し増しで強烈なお値段を提示される。当たり前である。

たとえば、DBのアクセス権限だけ渡されて、「このなかにデータがあるから、一週間でなんか意味のある分析してよ」って云われたら、ほとんどのひとは全力で断るだろう。それが、「この投資のROI計算しておいて」だったら、まだやってみようかという気になるし、集計だけやっておいて、なら、まあやろうか、しゃーねーなー、となるかもしれない。高いものには理由がある。慣れた人が直感的に高いな、と感じるのであれば、それは見積もったひとのリスクセンサが働いた結果なのかもしれない。値段を下げろ、と圧力をかけるより、あれおかしいな、と思って、もういちど振り返る方が良い。

誰かに何かを丸投げすると、いずれコストになって帰ってくる。丸投げのなかには、リスクが相当含まれるからだ。
不思議なものだが、真理である。

マスク

繰り返すが、マスクは「しぶきを撒き散らさないため」につけてください。
感染防御能はないと思いましょう。
あくまでも、しぶきが撒き散らされないために付けるものなので、
ウィルスがスカスカであろうがなんでもいいんです。布だろうがウレタンだろうが。
というわけで、意図しない拡散を低減させるため、
いまの状況下では、マスクはちゃんとつけましょう。

マスクをつけるのを拒否する人がいる?
まあ、国際基準だと、バイオテロリストは即刻○○ですよ?