それはいまやる価値があるのか?

AIでできることの幅は大きく広がり、個人用途の作業であれば、複雑でかつ手間がかかることを、AI(もしくはAIから生成するマクロ)で処理できるようになった。さらに、マニュアルの作成などの事務作業を、既存資料を使って作成することも容易になり、発表に使うスライドさえ、AIに作らせることができるようになった。やれることの幅は大きく広がり、かかる時間も大幅に短縮された。学びも、経験も、それまでとは段違いに広がった。とくに資料横断的に調べなければならなかった分野、自分に馴染みがない分野であっても調べることが容易になったため、

その反面、レビューに要する労力が爆発的に増えた。このままでは(メンタル的に)マズイのではないか、、、と思うくらいには。
ひとつの分野に時間をかけて調べて、そこから全体をレビューして、、、という労力に比べて、AIに作らせたものをレビューするのは、明らかに「しんどい」のである。もっと正確に云えば、かかる労力は、ほとんど変わらないはずなのだが、「粒度がバラバラで、多岐にわたる分野の、さまざまな知識が求められ、考え方さえも切り替えなければならないことがあって、メンタル的なダメージが色濃く残る」といったところか。AIにはAI特有の注意ポイントがいくつかあり、とにかく疲れるのである。たいていの場合、レビューしている間に次の作業をAIに投げておくわけだが、このワークフローのボトルネックは明らかに人間である。つまり、レビューワーは休むことができない。つまり、AIを作業に組み込んでも、ワークフロー全体の処理能力は人間の処理能力に依存するのである。決して、AIの処理能力ではない。

従って、ボトルネックの能力を最大化することが、ワークフローのスループットを最大化するためには必要なことである、といえるだろう。チームであれば、AIの成果物をレビューする部門を強化する、といったことが可能だが、個人用途でAIを取り入れると、個人の負担に繋がりやすい。つまり、個人がめちゃ頑張る、という結果につながりやすい。できるからと云って何でもかんでもAIにやらせていると、いつの間にか首が回らなくなっていた、ということになる。

人間は「いまはやらない」という判断が格段に苦手である。AIでなんでもできるようになったいま、人間が考えなければならないことは、「それ、やる意味ある?」という一点に尽きる。ビジネススピードが格段に上がった今、限られた注意力というリソースを有効に使うため、あえてやらないことを定義する必要性は、かえって大きくなったと云ってもいいと思うのである。

やらないこと、ちゃんと定義できていますか?

汎用AIエージェントに仕事を任せることは可能か?

個人的には、可能であり、不可能である。

レビューを要する調査・情報収集業務などは、かなり厳しい。状況次第だが、ハルシネーションが紛れ込む可能性が無視できないため、レビューは必須である。エビデンスに嘘が書いてあれば、それはそのドキュメントすべての信頼性に強く影響するため、ハルシネーションは絶対的に排除されなければならないが、プロンプトベースではその除去もチェックも、不十分になりがちである。ちなみに、チェックを2回、3回と繰り返すこともほぼ無意味なので、考えるだけ無駄である。モデルは全体的に「仕事を早く終わらせよう」とする傾向があり、そもそもファイルをレビュー/チェックしていないことがある。ユーザからするとびっくりするような話だが、事実である。つまり、前任チェッカ/レビューワーが出した「問題なし」の重みづけを過大解釈し、そもそも「問題なし」と判断されているのだから問題なし、として片付けてしまうようだ。人間で云うところの、流し読みに近い。つまり、AIはほぼ人間と同じ挙動をし、チェックを担当するエージェントは、前任者のチェック済みステータスを無批判に採用する傾向があり、その解釈を根拠に操作を決定する傾向があるようだ。数パターンを検討した結果、これはプロンプトベースでは排除できないと考えるようになった。いまでは、reviewerの数、および工数は、信頼境界にはならないというのは、重要な知見であると考えている。

従って、矛盾しているようだが、自律的に複雑な処理をこなすエージェントに対して、「任せ」っぱなしにする、ということは、難しいのではないか、というのが、現時点での感想である。AIは自らパラメータをいじって改善することができないし、またそれをしてもらっても困る。表面上は反省しているような応答をすることもあるし、しおらしくしていることもあるが、基本的に自発的な反省も改善もすることはない。やるなといったことは何回でもやるので、プロンプトお願いベースで対処するより、仕組みとしてやることができない環境を整えるしかない。面白いことに、人間を相手にしたリスクマネージメントとほぼ同様で、こういった挙動は、マルチAIエージェントでタスク処理をさせるときの、参考になるのではないかと思う次第である。

AIエージェントに作業をさせるということ、その期待値について

AIはとても優秀なきかん坊である。感覚的にはこどもと同じで、意外なことに、同じことを何回も教えなければならない。

どうやらみんなが誤解しているらしいことの一つに、「プロンプトは絶対である」というのがある。プロンプトは「お願い」ベースの指示であり、強制力を持った命令ではない。従って、たとえばAIに、「Webから公的に使えるドキュメントを複数組み合わせて、誤嚥性肺炎の治療ガイドラインを作れ。ただし、本文中の主張には引用文献等のエビデンスを必ず付記しろ」と指示すると、AIは途中でエビデンスを捏造し始めることがある。エビデンスを付記しているが、その正確性まで担保するように指示されていないからだ。人間であれば、考えもしない抜け道だろう(そうでもない?)。ただし、ここまではままあり得る部分で、「プロンプトが絶対」云々とは少し違う。問題は、ここで「証拠を捏造するな。必ずチェックゲートを通せ」と指示しても、この「お願い」をAIはさくっと無視することがある。

「証拠を捏造するな」はハルシネーションの防止に相当するため、本質的にかなり実現は難しい。ただし、エビデンスの裏取りに相当するチェックを無視することがある、というのはかなりめんどくさい挙動である。そのほか、スコープ外の作業を勝手に行うこともある。条件を適用し忘れる、というのもままある。とくに、長大なコンテキストの中頃に書いたものは、忘れられやすいようで、これはさまざまなところで言及されている。意外なことに、注意力というリソースを持つところまで、AIは人間に近い。

そのため、たとえば、複雑なルールが絡んだ勤務表などを作成させるなど、ファジーな部分を大量に含みつつさまざまなルールが絡む作業は、マクロなどで実現した方が正確性を担保しやすいのが現実である。マクロは、融通は効かないが、安定した「定義された条件に沿った結果」を出力してくることができるため、出力が安定さえすれば、人間がレビューする労力を抑えることもできる。AIエージェントが作成する最終成果物は、必ずレビューが必要で、それがいまの限界だとも云える。

まあ、ここも誤解されているところだと思うのだが、どんなものにも「レビュー」は必要で、それは人間相手にも同様である。AIに任せれば人間よりは早く仕上げてくるため、全体的な作業時間は短くできる、というだけのこと。レビューが要らなくなる未来もあるかもしれないが、もうしばらくは来ないだろう。

マルチエージェントでブログ記事を執筆する

私は、文章を書くのが嫌いではありません。好きでもないが、少なくとも、嫌いではないのです。

従って、ブログの記事をAIに書かせる理由はほとんどないのですが(このブログは別に収益化されているわけではないので、書いてもお金にはならない)、AIにブログを執筆させることを目的に、AIエージェントを構築してみました。ちなみに、私は臨床検査技師であって、エンジニアではありません。テクノロジストなので、ツールを使う側の職種です。ちなみに、Codexを使いました。

もっとも問題になったのは、エビデンスの扱いでした。エージェントは「情報収集担当」「収集した情報を検証する担当」「検証された事実をもって記事を書く担当」「レビュー担当」、あとはこれらをまとめて統括する「オーケストレータ」に作業分担し、それぞれがそれぞれの担当範囲をこなしながら、成果物を出力し、受け渡していく構成になっています。このブログ執筆AIエージェントに記事を執筆させると、記事の内容全体には大きな問題は生じにくいのですが、やはり細かい主張や数字におかしな点が見られ、裏取りができない主張も散見されました。架空の文献を捏造して自説を支えようとしたり、DOIが別の文献とミックスされていたり、挙句の果てにはテスト結果を捏造してチェックを迂回しようともします。これがなかなか手強く、正しく意図した通りにチェックを機能させることすら困難でした。さらに、そのエージェントの挙動の修正も生成AIにやらせていたのですが、レビュー用のエージェントを増やそうとしたり、AIもムキになっているのか、修正作業に飽きたのか、しばらくやりとりを続けていくと、力技で解決しようとするようになってきますので、それを宥めて、辛抱強く修正を続けなければなりません。正直なところ、ゼロイチで書いた方が圧倒的に早いです。

それでも繰り返し作業になるなら自動化することに意味はあると思いますので、業務内容次第では、医療記事の執筆のような、エビデンスに基づくクリエイティブ作業などには、役にたつこともあるのではないかと思います。個人的な干渉としては、修正を重ねれば重ねるほど、エビデンスはしっかり検証されるのですが、内容が固く、つまらなくなってくる傾向があり、最後のレビューまで自動化する必要はほとんどないのではないかと感じました。ClaudCodeでやればまた違ってくるのかもしれませんが、自分の勉強目的であれば、なおさら、最後のレビューは人間が担当すべきでしょう。

私はこの出力をもっと別の目的に使う予定だったのですが、このクォリティだと、使い物にならないなぁというのが正直なところです。かなり膨大な記事数が必要なので、自動化したかったのですが、いい解決策を思いつくまで、しばらく塩漬けにしておく必要がありそうでした。残念。

尿アルブミン/クレアチニン比(uACR)とは何か:腎臓リスクを見る検査の基本

 以下の記事は、ブログ執筆用に構築したAIエージェントを用いて執筆しました。実験を兼ねているため、いっさい人間がレビューしていませんので、ご了承ください。


尿アルブミン/クレアチニン比(uACR。資料によってはUACRと表記)は、尿の中に出ているアルブミンの量を、尿中クレアチニンとの比で示す検査です[C001][S002]。健康診断や診療で「尿アルブミン」「アルブミン尿」「albumin/creat ratio」などの名前を見たとき、何を意味するのか不安になる人もいるかもしれません。この記事は一般的な理解のための説明であり、検査結果の解釈、診断、治療の開始・中止、薬の選択、受診頻度の判断は、医師など医療専門職に確認してください[C026][S001]。また、小児、妊娠中、腎移植後、急な体調変化がある場合など、個別性の高い状況の詳細は扱いません。

uACRは何を見ているのか

アルブミンは、血液中にあるたんぱく質の一種です。尿に出るアルブミンが増えているかどうかは、腎臓の状態を考える手がかりになります。uACRは、尿中アルブミンを尿中クレアチニンで割って示すことで、尿が薄い・濃いといった影響をある程度ならし、24時間尿をためる検査を避けて実臨床で使いやすくする目的があります[C002][S001]。

ただし、「比にすれば完全に補正できる」という意味ではありません。尿中クレアチニンの排泄は、性別、体格、筋肉量などの影響を受けるため、同じ数値でも背景によって解釈が変わり得ます[C018][S001]。uACRは便利な検査ですが、単独で腎臓の状態すべてを決めるものではありません[C026][S008]。

数値の目安:30 mg/gと300 mg/g

慢性腎臓病(CKD)の評価では、原因、GFR区分、アルブミン尿区分を組み合わせて考えるCGA分類が使われます[C003][S001]。KDIGOのアルブミン尿区分では、ACR 30 mg/g未満がA1、30〜300 mg/gがA2、300 mg/g超がA3の目安です[C004][S001]。一般向け資料では、uACR 30 mg/g未満を「正常」または「目標範囲」、30〜299 mg/gを「中等度増加」、300 mg/g以上を「高度増加」と説明することがあります[C005][S002]。境界値の扱いは資料や検査報告書の表示で異なる場合があるため、300 mg/gちょうどなどの判断は検査機関の表示や医療者の説明に従ってください[C004][C005][C026]。

区分の目安 mg/gでの範囲 読み方の注意

A1 30 mg/g未満 低い値でも、他の検査や背景によって評価は変わります[C003]。
A2 30〜300 mg/g 中等度増加の目安です[C004]。
A3 300 mg/g超、または一般向け資料では300 mg/g以上 高度増加の目安ですが、境界値は医療者に確認してください[C004][C005]。
単位は本文ではmg/gを主に使いますが、資料によってはmg/mmolで示されることもあり、単位を混同しないことが重要です[C025][S001]。また、「30 mg/g未満ならリスクがない」とは言えません。CKDの評価はeGFR、尿のほかの所見、糖尿病や高血圧などの背景、経過を合わせて行われます[C003][S001]。

一方、uACR 30 mg/g以上は、腎不全、心血管イベント、心不全、早期死亡などのリスク上昇と関連すると説明されています[C006][S002]。ここでいう「関連」は、「必ず発症する」「uACRだけが原因である」という意味ではありません。個人のリスクや対応は、eGFR、血圧、糖尿病の有無、年齢、既往歴などと合わせて判断されます[C006][C026]。

1回の結果だけで決めない

uACRは1回の尿検体だけで判断することは少なく、結果を確認するための反復検査が重要です[C010][S002]。ACRには個人内変動があり、小さな増減を1回の検査だけで過大評価しないこと、大きな変化も必要に応じて確認することが大切です[C019][S001]。

初期のアルブミン尿評価では、可能であれば早朝第一中間尿を用いることが望ましく、優先される測定は尿ACRとされています[C007][S001]。早朝第一尿は24時間排泄量との相関がよく、個人内変動が比較的小さいため、確認に有用とされています[C020][S001]。外来や健診では随時尿が使われることもありますが、随時尿でACR 30 mg/g以上が出た場合は、その後の早朝第一中間尿で確認することが望ましいとされています[C009][S001]。

一般向け資料では、初めてuACR 30 mg/g以上の範囲が出た場合、3〜6か月以内の再検査で確認されることがあると説明されています[C011][S002]。ただし、症状がある場合、値が著しく高い場合、急な腎機能低下が疑われる場合などに「必ず3〜6か月待てばよい」という意味ではありません。再検査の時期や方法は、医療者が個別状況に応じて判断します[C011][C026]。

糖尿病・高血圧・CKDではなぜ重要か

尿アルブミンとeGFRは、CKD評価に用いられる主要なマーカーです[C022][S003]。CKD患者では、成人のアルブミン尿とGFRを少なくとも年1回評価し、進行リスクが高い場合や治療判断に影響する場合は、より頻回に評価するとされています[C013][S001]。

糖尿病では、CKD評価・リスク管理に尿アルブミンまたはuACRとeGFRが重要な検査として使われます[C014][S003]。ADA 2026では、糖尿病でアルブミン尿とeGFRを少なくとも年1回モニターし、2型糖尿病では診断時から、1型糖尿病では一般に発症から5年後以降に評価が重視されるとされています[C015][S004]。これは米国中心の専門家向け推奨を含むため、日本での受診間隔や検査運用をそのまま断定するものではありません[C015]。

高血圧または血圧高値の評価でも、腎障害・心血管リスク評価の一部として、血清クレアチニン、eGFR、尿ACRが測定項目に含まれるとする欧州のガイドラインがあります[C016][S005]。高血圧の人では、CKD、糖尿病、心血管疾患、標的臓器障害が全体リスクを高める要因として扱われます[C017][S005]。ただし、uACRだけで高血圧の治療目標や薬を決めるわけではありません[C026]。

結果を見るときの注意点

uACRの解釈には、血尿、月経、運動、症候性尿路感染、急性腎障害、食事中のたんぱく量、性別・体重・筋肉量などに伴う尿中クレアチニン排泄差が影響し得ます[C018][S001]。30 mg/gという閾値は多くのガイドラインで中等度アルブミン尿の目安として使われますが、体格や筋肉量などの違いがあるため、全員に機械的に一律適用するには注意が必要です[C021][S008]。

検査票や古い資料では「微量アルブミン尿(microalbuminuria)」という言葉を見かけることがあります。この記事では、現在の区分説明に合わせて「アルブミン尿」「中等度増加アルブミン尿」といった表現を優先します[C024][S001]。

まとめると、uACRは腎臓の状態や心血管リスクを考えるうえで重要な手がかりです。しかし、1回の数値だけで安心したり、逆に診断や治療を自己判断したりするための検査ではありません[C010][C026]。結果を見るときは、単位、採尿条件、過去との変化、eGFR、糖尿病・高血圧などの背景、体調や月経・運動・感染症の有無を整理し、医師など医療専門職に相談してください[C018][C026]。

主要出典

[S001] Kidney Disease: Improving Global Outcomes (KDIGO) CKD Work Group. KDIGO 2024 Clinical Practice Guideline for the Evaluation and Management of Chronic Kidney Disease. Kidney International. 2024. https://kdigo.org/wp-content/uploads/2024/03/KDIGO-2024-CKD-Guideline.pdf 参照日: 2026-07-15.
[S002] National Kidney Foundation. “uACR Urine Test for Albuminuria: How to Get Tested and Understand Your Results.” National Kidney Foundation. 更新日:2023年5月1日. https://www.kidney.org/kidney-topics/urine-albumin-creatinine-ratio-uacr 参照日: 2026-07-15.
[S003] National Institute of Diabetes and Digestive and Kidney Diseases (NIDDK). “Urine Albumin-to-Creatinine Ratio (UACR) In Evaluating Patients with Diabetes for Kidney Disease.” NIDDK/NIH. 2010年3月. https://www.niddk.nih.gov/-/media/Files/Health-Information/Health-Professionals/Kidney-Disease/UACRQuickReferenceSheet.pdf 参照日: 2026-07-15.
[S004] American Diabetes Association Professional Practice Committee. “11. Chronic Kidney Disease and Risk Management: Standards of Care in Diabetes—2026.” Diabetes Care. 2026. https://doi.org/10.2337/dc26-S011 参照日: 2026-07-15.
[S005] McEvoy JW, McCarthy CP, Bruno RM, Brouwers S, Canavan MD, Ceconi C, et al. “2024 ESC Guidelines for the management of elevated blood pressure and hypertension.” European Heart Journal. 2024. https://doi.org/10.1093/eurheartj/ehae178 参照日: 2026-07-15.
[S008] Chagnac A, Friedman AN. “Measuring Albuminuria in Individuals With Obesity: Pitfalls of the Urinary Albumin-Creatinine Ratio.” Kidney Medicine. 2024. https://doi.org/10.1016/j.xkme.2024.100804 参照日: 2026-07-15.

ツツガムシ病

ツツガムシ病は、Orientia tsutsugamushi によるダニ媒介性のリケッチア症。名前に「虫」とついているものの、リケッチアは細胞内偏性寄生性の細菌であり、培養でコロニーを得ることはできない。一般細菌培養や通常の血液培養で検出・同定する対象ではない、という点がもっとも重要である。臨床的には発熱、発疹、刺し口が重要であるとされるが、初診時に三つがそろうことはあまりない。刺し口は腋窩、鼠径部、下着に隠れる部位など、やわらかく、見つけにくい場所にあることも多い。日本紅斑熱との鑑別も臨床症状だけでは難しく、多くのケースで検査に頼らざるを得ない。検査依頼を受けた時点では、「ダニ媒介性リケッチア症」として広く捉えて対処するしかない。

検査の中心は、PCRと血清診断となり、とくにPCRでは、血液よりも刺し口の痂皮が重要な検体になる。痂皮や皮膚生検をPCR目的で提出する場合は、ホルマリン固定しない検体を用いる。急性期血液PCR陰性、抗体価陰性だった場合でも、疾患を否定しきれない点に注意が必要で、急性期にリケッチアを除外するのはかなり難しい。急性期の血清抗体価は、陽性であればラッキー、後々の診断のために検体を確保しておくためのもの、くらいの認識でいることが必要で、そもそもツツガムシの場合、民間外注で扱える抗体価測定は標準3血清型(Kato、Karp、Gilliam型)しかない。Kawasaki(Irie)、Kuroki(Hirano)、Shimokoshi型は検査する手段すらなく、日本紅斑熱との鑑別を考えると、明らかに不十分である。感染症法上、第四類に分類され、おそらく保健所等を相談窓口にすることで行政検査を依頼することが可能であるため、地域の公的機関に相談することを考えてもよいだろう。

正直、培養で検出されない微生物であるため、あまり詳しくは知らない。もう少し掘り下げた勉強が必要だと感じている。

私とブルベ

ブルベのことを知らない人に、ブルベの概念を説明するのは難しい。説明を聞いた人の大半は、「そういうルールのレース」なのだと理解する。レースとは根本的に異なるのだけれども、いくら違うのだと説明しても、なかなか「レース」という概念から解放されてくれない。同じロング・ファスト・ランだと解釈しても、方向性がまったく異なる。

感覚的には、趣味で参加しているフルマラソンやハーフマラソンが近いだろうか。ブルベをレース的な感覚で走る人もいるが、どちらかというと邪道であり、あまり歓迎される走り方ではない。

ブルベに使用できる車種は、公道の走行に法的な問題がなく、人力のみを動力とするものであれば何でもよいとされる。リカンベントやベロモービル、タンデム自転車でもよい(タンデムの使用は走行ルート上の県の条例に左右される)。スピードを競う必要がないので、体力だけでなく、途中の仮眠の取り方や、機材の使いこなしなど、知力と経験も重要な要素であり、基本的に「制限時間内に完走すること」を目的に長距離を走るロングライドイベントだと解釈される。

ルート上に設定されたチェックポイントをクリアし、定められた距離を走りきる。走者どうしは協力し合ってもよいが、チェックポイント以外で予定された第三者の援助を受けるのはNGである。同じ方向を向いている走者はすべて仲間だ。助け合いながら非常識な長距離を走りきるために全力を尽くす、そういう方向性のサイクリングなのだ、と理解してもらえればよいと思う。このあたりの説明は少し微妙で、あまり突っ込んで説明すると微妙な問題を孕んでいるように感じるので、詳細は割愛しようと思う。

この「他人と競争しなくて良い」というブルベの精神を、私はこよなく愛している、といってもいいと思う。もちろん競争自体を否定するわけではないし、自分自身、自分の走行順位(わかりやすいのであえて順位という)が後ろの方だと、げんなりするし、焦りもする。ただ、そこで不貞腐れて辞めてしまうのも、もうちょっと頑張ろうと思うのも、制限時間満たせそうにないけど走り切ろうと思うのも、自由である。長い距離にチャレンジしたい、でもどうやったら完走できるだろうかと戦略を練る、装備を整える、トレーニングをする、自転車を買い換える、PCに補給者を手配する(PCならルール違反ではないとされている)、そういった自由さも好ましいと感じる。自由さの裏には自己責任という責任もついて回るけれども、それすら好ましいと感じているのである。

しばらくはそうやってブルベを走り続けるだろう。今年は全国の200kmカテゴリを走り回ってみたいなと思っている。