どれも大事です?

この三つに優先順位つけてください、というと、どれもすべて大事だという結論がでることがある。
そんなことないでしょ?

例えば、10ポイントあげるからこの三つに優先順位つけてください、ただし、3ポイント以下はすべて大事なこととは見なしません、という形にしたらどうだろう?三つすべてが大事です、と言い張る人は、もうこれ以上考えたくないと思っているか、体面上三つに優劣をつけることができないか、たいていどちらかだと思う。この条件で、3、3、4で割り振るひとはあまりいないのではないかと思う。本当に甲乙つけがたいと思っている人でも、4、4、2くらいに割り振るのではないだろうか。

検査技師として、人材育成の話をしていると、「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」の両方が出てきて、平行線になることがある。どちらが大事ですか、という議論は、あまりされていない(少なくとも、私の周囲ではそんな議論はなかった)。どちらが大事だということは、環境によって決まると思うので、どちらが優れているという話ではないはずなのだが、大抵の場合、結論が出ない。出ないはずがないので、本当なら、無理やり出すしかない。そうしないと、人材育成に必要な、方向性の話ができない。

じゃあ、技術馬鹿ができあがってもいいんですか、という話もしたことがない。これを云うと、たぶん、空気が読めない奴だと思われるだけだろうけど、避けては通れないはずだ。年齢によって、同じ解釈でいいんですか、という疑問もある。新人と、50歳で、育成の方向性が同じであっていいはずがない。役職によってもちがうはずだが、そんな議論はしたことがない。

どれも大事です、ではなく、本来なら、この会議としてはこれが大事です、というすり合わせをするのが目的のはずなのに、忖度の嵐が吹き荒れて、いつの間にか有耶無耶になる。
会議で結論を出すと云うことは、その「この会議としてはこれが大事です」というすり合わせの結果を出す、ということでは?結論が出ない会議が多すぎる。