検査を出すことが悪いとは云わないんだけどちょっとだけ考えてから出してほしいなと思う今日この頃

検査を出しまくる主治医がいます。咽頭粘液、鼻汁分泌液、尿、血液培養、便培養、フルセットで来ることもあります。咽頭粘液の伝票には「喀痰、採れなかったら咽頭粘液。とにかく出して」とか書いてあって、こいつはアホだ(失礼)と思わされることもしばしば。培養だけなら、ああ不明熱なのかな、と思うのですが、これにβ-Dグルカンやエンドトキシンがついていることもあり、ううむ…とうなってしまいます。べつに培養を出しまくることに対してはどうとも思わないのですが、これが数回続くとさすがにどうかと思います。経過観察なのでしょうか。

MRSA敗血症の患者でβ-Dグルカンが陽性の患者がいます。ではMRSA敗血症に真菌血症がかぶっているのか、と云われると、さあどうでしょう、といわざるを得ません。血液培養からは出てきていませんから、証明しようがないのです。もともとこのMRSAもどこが感染源だったのかよくわからないMRSAなのですが、ラインが入っているわけでもなく、顆粒球減少があるわけでもない。確率からいってこういう患者さんが本当に真菌血症を起こしている可能性は低いと思うのですが、β-Dグルカンが陽性に出てしまうと恐ろしいわけです。抗真菌剤をかぶせた方がいいのかしら……となってきます。この患者さんの培養結果では、どこにもCandidaは定着していませんでした。個人的には、偽陽性だろうと考えます。(こういうときは、いろんな部位の培養があった方が、考えやすい気がするのは確かです)

ずっと前にも書いたと思うのですが、検査をしてから考えよう、という思考のオーダが多いように思います。とりあえず培養出して、それから抗菌薬。何出したらいいかわからないし外したらいやだから、ブロードに。どこまでカバーするかって?全部だよ、ぜ・ん・ぶ!好気性菌をカバーするチエナムに、嫌気性菌をカバーするダラシンかぶせときゃ、最強でしょ。ほら、「チエダラ」って云うじゃん。今年の流行語だよ、流行語。

じつはこれ、ほとんど実話で、いまでもしょっちゅう「チエダラ」は見ます。昨年の流行語大賞は「モダダラ」でした(何も考えずに肺炎に使うわけです)。「チエダラ」のパワーアップしたものに、「チエナム・ジフルカン・ミノマイシン」という、通称「ちじみ」療法がありますが、これに至るともはや救いようがありません。抗菌薬投与前に培養が出ていればまだ救いようがあるのですが、外科など「チエダラ」をしながら数日後に培養を出してきて、喀痰からMRSAが出てきたりします。で、「チエダラ」にバンコマイシンがかぶるわけです。こうなるともはや泥沼で、犯人は永遠に闇の彼方になります。何が起炎菌か分からないので処方を変えるわけにもいかず、ほとんどの場合は症状が改善しません。で、改善しない炎症マーカを片手に、頭をひねることになるわけです。

大曲先生の「感染症診療のベーシック・アプローチ」という本が良書です。似たようなケースが載っていて、思わず笑ってしまいました。検査技師に理解のある先生で、読んでいて気持ちがいいです。興味のある方は、ぜひご一読を……