教えるというスタンス

私は「モノを教える」というスタンスに対して否定的です。ヒトにものを教えるのが苦手だということもありますが、自分自身の経験から判断しても、そう判断しています。よく、院内の感染対策講習会に参加するように云われるのですが、行ってもまじめに勉強しているひとたちはほんの一握りです。そしてそういう人たちは誰に云われるでもなく勉強会に参加していますし、本当にまじめに勉強しています。少なくとも、「グラム染色って何ですか」という質問をするレベルではありません。標準予防策って何ですか、と聞かれたときにはくらくらしましたが、よく考えてみると、私も他職種の仕事についてはよく知りません。それでいいや、と思うヒトと、「グラム染色って何ですか」と聞いてくるヒトがいます。その差は、とても大きいと思います。

ようは勉強する気があるんなら勝手に勉強するし、勉強しないヒトは誰に云われても勉強なんかしやしねえ、ということです。だから私は講習会の企画ってあまり効果的だとは思っていないですし、そうすることで全体のレベルが上がるとはまったく(これっぽっちも!)思っていません。教育なんて幻想です。そんな幻想にしがみついて、「参加者にやる気がない」などと嘆くのは間違っているんじゃないか、そう感じます。

だから何もしなくて当人のやる気にまかせていればいいんだ、なんて云う気はさらさらなく、誰かが教えなければならないというのもまた真実だと思います。ようは、学ぶ楽しさを見つけてください、ということです。知る楽しさを見つけられれば、勉強するということはとても楽しいことです。「グラム染色って何ですか」、そういう質問を遠慮なく出来る場所が必要だと思います。

これはたぶん性善説でしょうね。最初の一歩は相手に踏み出してもらわないといけないかもしれません。その最初の一歩に最良の形で応えることが、「モノを教える」という幻想なんじゃないかと思います。