RPAについて思うことを

RPAについて、思うことを書いておこう。

昨今、「働き方改革」の切り札というか、ソリューションのように扱われることが多くなって来たRobotic Process Automation(RPA)だが、AIへの高い期待も相まって、なかば魔法扱いされているような気がする。はっきり云ってしまえば、現時点でのRPAは、あくまでも「定型業務の自動化」にすぎない。そのツールをどううまく使いこなすか、という問題がRPAのメインテーマであって、残念ながら、万能のソリューション(解決策)ではない。RPAが解決するのは、いわゆる「手が足りない」という問題だけだ。

ある煩雑な業務があって、いつも「人手が足りない」と嘆いている部署があったとしよう。どこからか、RPAの話を聞いてきた。さっそく導入を試みる。セミナの事例紹介なら、ここで月数百時間もうかせてめでたしめでたし、なのだろうが、現実はそううまくいかない。ある業務は煩雑なままで、その煩雑さを紐解かずにRPAによって処理させようとすると、うまくRPA化することができずに、炎上することになる。問題は、「なぜ」業務が煩雑なのか、であって、それを解決せずにRPAを使って処理をブラックボックス化してしまうと、うまくいくはずがない。よしんば、その場ではうまくいったとしても、時が過ぎて世代が変わった時、誰もブラックボックスと化した業務の中身が分からず、後に残るのは炎上したロボットだけ、ということになるだろう。

RPAはほとんどのケースで直接的な解決策にはならない。RPAが解決するのは、「要件定義された作業に対する、純粋な労働力の不足」である。したがって、まずは業務の標準化、見直しが必要で、結局のところ、BPRをしましょう、という話になってしまうのだ。

人間の仕事はまだまだなくならないな、と思う次第である。

相貌失認

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実は私もまったく同じである。ここに書かれていることは、ほぼすべて当てはまる。ただまあ、相貌失認だとまでは思ったことはないかな。

目が悪くなっても、仕事中はほとんどメガネをかけない理由がコレである。裸眼で0.5程度あるのでまったく見えないわけではないのだが、よく不自由ないのか聞かれて、私も返答に困ってしまう。私はほとんどのケースで体型や髪型、歩き方や姿勢などで相手を識別しているらしく、実生活ではほとんど困らない。細かいところが見えていようがなかろうが、どうせ体の輪郭や雰囲気などといった曖昧な情報でしか相手を識別していないので、手がかりにしている符号がころりと変わってしまうと、途端に反応できなくなることが多い。したがって、しばらく会っていない相手は、ごく数名をのぞいて、識別できないことが(非常に)多い。

このごく数名が、小学校くらいから付き合いのある友人数名で、どうも高校生のあたりからひどくなっているようなので、後天的なものなのかもしれないなどと思っていたりもする。単に人間関係が希薄なだけかもしれないし、友達が少ないだけかもしれない(爆)。

顔を識別する能力には個人差があり、すべての人が一律の能力を持っているわけではない。ただ、得意な人がちょっぴり羨ましいだけである。

人工知能は職を奪うか?

いろんな意見があるだろうが、結果として「職は奪われる」かもしれない。

そもそも労働人口が減少しているため、「社会が必要としている労働量」が変わらず、「労働人口は減少する」なら、「労働人口単位の生産性を上げる」しか対応する方法はない。そこに「労働人口を補う」という方向性で持ち込まれるのが、AIやRPAといった、いわゆるソフトウェア型ロボットである。RPAは典型的なソフトウェア型ロボットで、単純作業をもくもくとこなす、きわめて優秀な単純作業従事者だ。労働者はこのRPAを道具として使いこなし、労働者自身の生産性をあげる。結果、少ない労働人口で、現在の社会を維持することができる。

問題は、いままで単純作業に従事していたひとたちは、それ以外の作業に従事できない可能性が高い、という点だ。極端な例を挙げると、駅の改札で切符をきりまくっていた駅員さんは、自動改札機が導入されて職を奪われた。身近な例でいけば、経理課で、メールに添付されている見積書の情報をもとに、発注系のシステムに情報を転記、発注をし、発注情報を別の台帳に転記して、台帳を管理する、という仕事を1日に何十件を繰り返している担当者は、RPAによって仕事を奪われる可能性が高い(いまの市販製品でおおむね可能だ)。この担当者は、別の仕事に従事することになるが、この担当者のスキルセットで担当できる仕事が部内に「ない」場合、この担当者は職がないことになってしまうだろう。

個々人のスキルセットが単一で潰しが利かない場合、このような事態に陥りやすいとも云える。会社の事業とほぼ同じようにも思える(だからたいていの場合多角経営に走るわけだが)。労働人口が減少すれば、個々人に求められるスキルは、必然的に複雑化し、かつ高い水準を求められることになるだろう。教育を見直す必要があるのではないかと思われる。

人工知能が職を奪うかと云われれば、おそらくYes。人工知能の発達スピードに、「人間社会と個人のあり方に関するありとあらゆる変化」が追いつかないからである。つまり、人間次第、とも云える。

職人は不要か?

以前とは逆のことを書こう。

人工知能が発達すれば、職人は不要になるかもしれないと書いた。結果として、おおむね不要になってしまうという未来は避けられないように思う。おそらく単純作業を繰り返す職業は、職業として成り立たなくなる。ここでいう「職業として成り立つ」条件は、コストである。つまり、単純作業を行わせるに当たって人間を雇うより機械を使用した方が明確に安くなれば、その職は職業として成り立たなくなる、と仮定している。この「機械にやらせる」という考えはけっこう曲者で、ランニングコストだけではなく初期投資が必要であり、一概には云いづらいところもある。

時と場合によるが、たとえば、工事現場で赤い誘導灯を振る役目は、機械が担当していることが多い。では無人化できるかといえば、有事の際に困るので、無人化はできないのが現状だ。高い精度で「誘導灯を振る」ことを極めた人形がいたとしても、それ以外の仕事はできない。人工知能が発達すれば、この「不測の事態」をある程度カバーできる可能性があるが、まだまだ先の話だ。

データを用いて論理的に導くことができる結論には、人工知能の方が早く到達する。では、人間特有の「飛躍する思考」を人工知能は再現できるだろうか。あるいは、「脈絡のない思考」も再現可能だろうか。日本刀を高い精度を打ち上げるロボットは、ある日突然、「儀式に使う七支刀」を打つことを発送できるだろうか。

職人のスキルというのは、ゲームのように純粋に単一のスキルセットではないはずで、その組み合わせから発想される別の新しいものが、人間にしか生み出せないものになるはずだ。いままでの職人とはかなり異なるイメージになるかもしれないが、新しいものを生み出せることが、これからのスキルとしては、必須になってくる。あとは、ロボットを使う側のスキルだ。いずれにせよ、旧来の「単純作業繰り返し型」の職は、すべて絶滅すると思った方が良い。

データに基づいて判断する職も、かなり怪しいとは思う。じつは医療系のかなりの部分は怪しいのではないかと思っているが(医学は科学だ)、医療の世界も、AIの台頭によって変化を志す時期なのだろう。世の中の動きからは、かなり遅れるとは思うが。。。

ルートラボ怖い

ふだんツーリングの記事は書かないのだが、誰かの役に立つかも知れないので、ちょっとだけ困ったことを書いておこう。
(別にツーリング記事を書かないと決めているわけではないが。。。)

私はふだん自転車でツーリングする時、ルートラボを使ってコースを決める。山を走るのが好きなので、斜度がわからないと、自分にこなせるコースかわからないので困るからだ。自転車乗りなら、いちどは触ったことがあるのではないかというくらい、知られているサイトのひとつだろう。

で、ルーラボが案内してくる道を信じてると、こんな目にあうわけだ(笑)
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これが非常にツライ。
山の中で通る予定だった道が封鎖されているときの絶望感ったらないわけで。どないせいっちゅーねん、と突っ込みたくなる。頼みの綱はスマホなわけだが、山の中では電波もろくに届かない(私はこんなときのためにDocomoを維持しているが、このときはかろうじて通話が可能レベルだった)。仕方ないのでGarminの見辛い地図を見ながら迂回路を探る羽目になった。

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ポイントを打っている箇所が分岐点であり、通行止の地点である。迂回路があるのかどうかもわからないし、確認しようもない。どういった理由で通行止になっているのかわからないが、ここを通れば目的地につくことは間違い無いので、本気で侵入しようかどうかかなり迷った。入り口を見る限り、数年単位で放置されているようなので、おそらく崖崩れだろうと予想し、諦めた。

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実際にはどんつきで通行止を食らったわけではなく、もう一方の道が使えて、かつ目的地につながっていることをうろ覚えだが覚えていたので、その記憶を信じて、別の道を進むことにした。そのときは14:00くらいで、標高もそこそこ高く、日が陰って寒かった。山の中で日が落ちたらマジで死ねる自信があった。繋がっているという記憶がなかったら、あえて突っ込んだかもしれない。

実際には、山辺小分校の地点で南に折れるのがおそらく正しい。こちらは比較的舗装がまともで、斜度はきついが、そこそこまともに走れる。実際には、そのコースを走っている。ルートラボの道の選定基準がよくわからないが、最短コースを無視して、迂回してまで狭隘路を通したがるルートラボ先生には、狭隘路への偏執的な愛情を感じてしまうのである。

ルートラボの案内が必ずしも(人間にとって)正解ではないという、怖い怖ーい実例であっタ。

ちなみに、この道は「長野県道67号松本和田線 - Wikipedia」と呼ばれていて、実際には平成25年より通行止であるらしい。なぜか入り口が開いていて、不可抗力で通ってしまったひともいたようで、かなりひどい有様だったようだ。

まあ、ツーリングはこういうのもひっくるめて楽しいものなのだが。
以下、適当に写真を貼っておきますので、いいなと思ったら、行って見てください。ビーナスラインといいますです。

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