RPAについて思うことを

RPAについて、思うことを書いておこう。

昨今、「働き方改革」の切り札というか、ソリューションのように扱われることが多くなって来たRobotic Process Automation(RPA)だが、AIへの高い期待も相まって、なかば魔法扱いされているような気がする。はっきり云ってしまえば、現時点でのRPAは、あくまでも「定型業務の自動化」にすぎない。そのツールをどううまく使いこなすか、という問題がRPAのメインテーマであって、残念ながら、万能のソリューション(解決策)ではない。RPAが解決するのは、いわゆる「手が足りない」という問題だけだ。

ある煩雑な業務があって、いつも「人手が足りない」と嘆いている部署があったとしよう。どこからか、RPAの話を聞いてきた。さっそく導入を試みる。セミナの事例紹介なら、ここで月数百時間もうかせてめでたしめでたし、なのだろうが、現実はそううまくいかない。ある業務は煩雑なままで、その煩雑さを紐解かずにRPAによって処理させようとすると、うまくRPA化することができずに、炎上することになる。問題は、「なぜ」業務が煩雑なのか、であって、それを解決せずにRPAを使って処理をブラックボックス化してしまうと、うまくいくはずがない。よしんば、その場ではうまくいったとしても、時が過ぎて世代が変わった時、誰もブラックボックスと化した業務の中身が分からず、後に残るのは炎上したロボットだけ、ということになるだろう。

RPAはほとんどのケースで直接的な解決策にはならない。RPAが解決するのは、「要件定義された作業に対する、純粋な労働力の不足」である。したがって、まずは業務の標準化、見直しが必要で、結局のところ、BPRをしましょう、という話になってしまうのだ。

人間の仕事はまだまだなくならないな、と思う次第である。