面接というもの

面接について、考える機会があった。

たとえば、このような質問にはどのような意義があるのだろうか。
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質問があるからには、質問をした意図があるはずだ。圧迫面接と云われる手法は、意図的に面接者に対して圧力をかけてその反応を見ることで、ストレスやあからさまな圧力に対応する能力を見ることを目的としているらしいが、はたしてこのような手法で「ほんとうに」能力を図ることが出来るのだろうか?面接の場で応答が困難な質問をあえてすることで、そしてその反応をみることで、どのような解釈が出来るのだろう?

医学の世界で、「これはこうなるはずだ」といって新しい治療法を検討することはある。ただし、検証が必要である。検証の結果、思い込みでいままで有効であるとされてきた手法がじつは無意味だったと判明することもある。とうぜん有効だと考えられた手法に、あまり効果が見られないこともある。面接の世界に、そのような検証はあるのだろうか?たとえば、面接することでより「優秀」な人材を確保できるという仮定は、検証されているのだろうか。

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以前から感じていた疑問は、けっきょくこういうことなのかな、と思いつつある。
思考の瞬発力は大切だが、それがすべてではない、ということだ。

アメリカの企業は、自分たちで事業を育てることはせず、基本的に、「必要なものはアウトソーシング!」という価値観で動いている。従って、最初から優良なもの、その時点で役に立つものが選ばれ、好まれる。日本はどうだろう?日本人のビジネス的な価値観は、かなりの部分、「年功序列」や「終身雇用」に依っていると思う。それが日本の企業力の源泉だともてはやされた時期もあったらしい。いまでは批判されることも多いようだが、少なくとも悪いことではないだろう。その日本が、なぜ思考の瞬発力だけを評価するような選抜方法に依るのだろう?面接という採用手法そのものが、目的と矛盾しているのではないかと感じることはよくある。

いわゆるところの就職面接は日本には馴染まない。たぶん、だけれども。