どうにも反原発の一部のひとたちが下品だ

どうにも反原発の一部のひとたちのツイートが下品だ。品がない。

感情に訴える主張と云えば聞こえがいいが、どうも短絡的で、自分たちに都合の悪い意見に耳を貸さない傾向がある気がする。もちろん観察したn数が少なすぎて「そういう印象がある」という段階に過ぎないが、それでもその一部でその傾向が顕著だ。さらにその一部はきわめて下品だ。他人の意見に耳を貸さなくなるという意味で、ブロックブロックと繰り返すのは末期と云ってもよい。

しかし、原発安全派(そんな積極的な派閥があるのかどうか知らないが)も、時折下品である。つまりどっちもどっちというわけで、総じて原発関係の話題はダーティになりがちなのだが、まだ反(反原発)派の方が、科学的であり、検証に耐える情報を流していると云えるかもしれない。もちろん反原発派も検証に耐える情報(と思われる情報)を流しているひともいる。

原発関係の問題はとても難しい。科学的な検証は直感に反することも多く、また高度に学術的な内容を含むため、下地のないひとにはきわめてわかりにくい。データ取りが難しいため、なかなか客観的な議論にならない。客観的で氷よりも冷えた感情の伴わない数字が紡ぐ議論でしか、この問題を収束させることは出来ないんじゃないかと思わないでもない。

しかし、どうもこの原発関係の話題を見ていると、UFOだのオカルトだの、チュパカブラだのフライフィッシュだの、そういう単語が頭をちらつくのはどーにかならないのだろうか。きっとテレビで討論会をしたら、おなじ雰囲気になるだろう。自分たちに都合の悪いデータを陰謀の一言で片付けてしまうのもそっくりだし、どうもそういう一部のひとたちのせいで議論が低レベルになっている気もするのだ。むかーしオカルト関係の番組で大槻教授がやっていたのが記憶に残っているが、そうなってしまうとまともな意見でも、低レベルな、きわめて俗な意見に見えてしまうのがもったいないことだと思う。

ちなみに、私もどうやら工作員の一員らしいのだが、この工作員と称される人たちで原発推進派というのはあまりいないと思う。どちらかというと、天秤にかけた結果、まあ、しかたないよね、現状なら……というひとたちがほとんどだと思うのだが、工作員は目の敵にされる傾向があるようだ。ちなみに私は御用学者でもあるらしく、きわめて光栄な話である。