どれも大事です?

この三つに優先順位つけてください、というと、どれもすべて大事だという結論がでることがある。
そんなことないでしょ?

例えば、10ポイントあげるからこの三つに優先順位つけてください、ただし、3ポイント以下はすべて大事なこととは見なしません、という形にしたらどうだろう?三つすべてが大事です、と言い張る人は、もうこれ以上考えたくないと思っているか、体面上三つに優劣をつけることができないか、たいていどちらかだと思う。この条件で、3、3、4で割り振るひとはあまりいないのではないかと思う。本当に甲乙つけがたいと思っている人でも、4、4、2くらいに割り振るのではないだろうか。

検査技師として、人材育成の話をしていると、「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」の両方が出てきて、平行線になることがある。どちらが大事ですか、という議論は、あまりされていない(少なくとも、私の周囲ではそんな議論はなかった)。どちらが大事だということは、環境によって決まると思うので、どちらが優れているという話ではないはずなのだが、大抵の場合、結論が出ない。出ないはずがないので、本当なら、無理やり出すしかない。そうしないと、人材育成に必要な、方向性の話ができない。

じゃあ、技術馬鹿ができあがってもいいんですか、という話もしたことがない。これを云うと、たぶん、空気が読めない奴だと思われるだけだろうけど、避けては通れないはずだ。年齢によって、同じ解釈でいいんですか、という疑問もある。新人と、50歳で、育成の方向性が同じであっていいはずがない。役職によってもちがうはずだが、そんな議論はしたことがない。

どれも大事です、ではなく、本来なら、この会議としてはこれが大事です、というすり合わせをするのが目的のはずなのに、忖度の嵐が吹き荒れて、いつの間にか有耶無耶になる。
会議で結論を出すと云うことは、その「この会議としてはこれが大事です」というすり合わせの結果を出す、ということでは?結論が出ない会議が多すぎる。

インパールとコロナ

news.yahoo.co.jp

インパール作戦とコロナと五輪をとりまく現状が非常によく似ていることを指摘した記事。前から構造がよく似ているし、いずれエントリを書こうと思っていたのだが、もうすでに書かれた記事が存在していた。ほとんどのことは、上記リンク先に書いてある。

インパール作戦 - Wikipedia

Wikipediaにある通り、インパール作戦は、今日では「無謀の代名詞」といってもいいくらい、むちゃくちゃな作戦である。冷静に読んでみると実現性はほぼ皆無なのだが、当時のビルマ方面軍(第15軍)司令官は、反対多数の中、『必勝を期して』この作戦を強行した。明らかに兵站を軽視したこの作戦は、多大な犠牲を出して散々な結果に終わるのだが、ビルマ戦役の状況と短期決戦志向に満ちたこの作戦は、錯誤が連続する戦争において、作戦立案が本来持つべき柔軟性を奪った。要するに、失敗することを想定していなかったのである。さらに、人情や体面が戦略的合理性を上回り、非合理的な判断であっても恣意的に是とする組織風土が被害に拍車をかけた。戦時中という異常な状況を考慮してさえなお異常であると考えざるを得ないこの作戦は、以下の本でも詳しくみることができる。

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まあ、要するに、インパールがいまのコロナ 政策とよく似ているね、と云いたいだけなんですが。
他にもねー、「戦力の逐次投入」だとか、「根拠なく恣意的に運用される評価基準」だとか、太平洋戦争時代と同じことやっとるわなー、って思うんですよ。あと、「意思統一、および一貫性の欠如」とか、「大艦巨砲主義」とか、「情報の軽視」だとか、「具体的方針の欠如」なども、キィワードとして浮かんでくる。「短期決戦志向」と「具体的方針の欠如」は「具体的な戦略の欠如」を生み、さらに「大艦巨砲主義」とあわさって、「必勝を期した引くに引けない一発逆転狙い」の政策につながっている。この「一発逆転」がスカに終わった時どうするつもりなのか、については、「必勝を期した作戦を前にして失敗したときのことを考えるなんてとんでもない」という空気のなかでは、まとも顧みられることはないであろう。いまの五輪開催におけるアレコレをみていると、まあ、そっくりだなあ、とは思います、はい。

これはもはや、日本の宿痾と云ってもいい。とくに、データと情報を軽視し、グループ内の融和を最優先事項にして恣意的に権力を運用する傾向があるのは致命的だとも云える。また、多方面に配慮を効かせるため、組織的判断基準となる基本方針があいまいになり、判断のために「お上にお伺いを立てる」状況が頻繁に発生するのも、日本的宿痾と云い切ってもいい。今回のコロナ に関しては、「五輪の開催とコロナの制圧、どちらが優先されるのか」、おそらく誰にも判断できないだろう。そのため、「観客を入れるのかどうか」も直前まで決められなかった。判断基準がないからだ、と断じてしまうのはやや厳しい気もするが、それでも判断基準がないからだとは、云えるだろう。

「不退転の決意」と云えば聞こえはいいのだが、精神論ってアレだよね的な現代においては、それはただの「杜撰な計画」だと云われてしまうのがオチなので、もう少し本質的な議論があってもいいんじゃないかなあとは思います。はい。

追記:
ちなみに、日本人が一発逆転ネタが大好きな証左として、「鵯越の逆落とし」ってえのがございましてね。。。ほかにも、神の御加護を受けて、とか、劣勢をひっくり返すネタ大好きなんですよねー。

恫喝ネタ

news.yahoo.co.jp

これはさすがに不味かったね。。。

NECを恫喝した某お大臣もそうだが、政治家、、、というより、権力を持つことに慣れ始めると、「云うことを聞かせる」ことが当たり前になる。理を尽くして交渉するのではなく、ただ圧力をかけて終わらせようとする。政治家にこの手のニュースが多いのは、ただ単に露出の問題で、大なり小なり、どこにでも見られる構図だ。ユーザが売り手に対して高圧的に出るさまや、売り込みに来た営業に対して非人間的な対応をしているのを見ると、ああ、心の底から関わりたくねー、と思って引いてしまう。

まあ、基本的に失言が表に出てしまうのは政治家としての資質を疑うので、どんどん首が飛んでいいとは思うのだが。

現場に判断を任せることが最適解か

個人的にはNo。理由は簡単で、現場では自分たちの業務しか見えないからである。

ヒアリングをした時に問題になるのが、「どこまで深掘りするか」。でも、これはいちばん大きな問題ではないと思う。個人的にいちばん大きな問題だと思うのは、「現場がヒアリングで出してこなかった、潜在的な課題」について、どのような対応をとるべきか、という点である。よくあるのが、「ヒアリングの時に出してこなかったのだから、その課題は大したものではない(別に困ってない)」という解釈だが、これは間違いであることが多い。また、間違いであることに誰も(現場もヒアリング担当者も)気づかないことが多い。

従来型日本組織にありがちな「縦割り構造」は、職人スペシャリスト気質な日本人の感性によくマッチングしていると思う。「最高の仕事」をしていれば、それでOK、という状況を作りやすいので、現場的にも気が楽だ。その一方で、業務の流れを見えにくくする最たる障害にもなっていることも多い。毎月黙々と統計データを作って提出していたのに、提出先の担当者に聞いてみると、「いやー、前任者から引継ぎあまりなくって、、、なんか定期的にデータが送られてくるなー、とは思っていたんですけどね、使ってないんですよ、これ。でもまあ、私が知らないだけで、どこかで使ってるかもしれないし、別に邪魔になるわけでもないし、まあ、いいかなって」みたいなことが起こる。というか、至る所で起こっている。

この場合、誰も困っていないのがミソである。課題とは「理想とのギャップ」であり、逆に云えば、ギャップがなければそれは問題にはならないのである。誰もそこにギャップがあるとは認識していないが、全体的に見て、やはりそこには解決すべき問題がある。この例の場合は見つけ次第潰せばいいだけだが、現実はそう簡単には進まないのが哀しいところである。

いまいちばん必要とされているのは、「現場業務を大局から整理できる現場リーダー」であると考える。それも、全体のためなら、自分たちが多少泥をかぶることも厭わない、そういう判断ができるリーダーだ。これをトップダウンでやるには、よほど強権的にやらないと機能しないが、それでもしこりが残ったりして、あまりよろしくない。現場どうしで納得ができる交渉を繰り返すしかないのだが、そのような調整ができるリーダーが、圧倒的に少ない、、、というより、ほとんどいない。

まず日本に必要なのは、イノベータよりも、こういうリーダなのでは、、、と最近よく思う。

果たして内製は最適解か?

プログラミングって、めんどくさいよね?

だからというわけではないが、基本的に汎用性のある道具は作らない。自分が使えればそれでよい、という姿勢で作る。エラーチェックはいっさいやらないし、深く考えて設計しない。自分の腕では、どうせ深く考えたところで、かかったコストがメリットを台無しにしてしまうので、思いつきレベルのものしか作らない。その代わり、思いつきレベルで明らかにメリットの出るものを作る。

そもそも汎用性のあるツールを自作するのはやめたほうがいい、というのが、最近の結論である。内製できるスキルは必要だが、コア業務に食い込むところは、そもそも論的に金出して買いましょうよ、保守サービス付きで、という議論をすべきである。担当者がいなくなったら業務がコケる、という状態は笑えないし、そもそもコア業務に金を出せない組織は、投資先を間違っている、もしくはもうちょっと体力をつけたほうがいい、ということになる。内製して成功するケースももちろんあるが、(優秀な人材に頼るという点で)属人的である。

さいきんマクロ関係で相談を受けたが、そもそも何を伝えたらいいのかわからない、相談するためには何を伝えたらいいのか教えてくれ、という有様だった。そこまで面倒を見る気はないので、そもそもマクロ関係はわからないし(事実)、業務範囲外だから(事実)、自分たち(というか、前任者)でつくった業務マクロは自分たちで面倒みてくれ(当然)、わしゃ知らん(無情)、ついでに云うと我々も知らん(ああ無情)、と云って断った。ガラガラポンで結果が出てくるようになっていたみたいだが、そもそも中で何をやっているのか誰も説明できず、どういうデータを突っ込んだらいいのかについても、「あのシステムが出してくるデータ」くらいでしか把握されていなかった。怖すぎる。軽くホラーであった。でもそんなことはいくらでも転がっているのが現状である。いやあ、病院ってホラーだよね。

前からずっと、このままだとRPAは日本の現場を滅ぼすぞ、と書いているが、いっそうその思いを確かなものにしたものである。
ミキサーに野菜を入れても野菜ジュースができなかったから面倒みてくれ、と云われたら、誰でも面食らうでしょ?

言葉を信用してはならない

行き違いはとても多い。言葉を使ってやりとりをしているのに、なぜこうなるのだろう?
答えはとてもシンプルだ。言葉の解釈が一致していないからだ。

何にもよらず、「打ち合わせ」を行う時、相手の言葉を信用しないようにしている。これはシステム業界に片足を突っ込んでから半年くらいで身についた、哀しい習性である。しばらく言葉にできなかったのだが、ようするに、言葉の端々に、誤解を招く表現が、それもかなり頻繁にすべりこむため、結果として、信用できない、ということだ。打ち合わせの相手に信用がないわけではない。

たとえば、

  • システム的な変更はありません
    • 把握されている重要だと思われる設定の中で、変更が加わる箇所はありません、の意訳。
    • いうまでもなく、把握されていないけど重要な箇所が変更になっている可能性がある。往々にして、それがトラブルの元になる。

抽象的な表現は云うまでもなく、定性的な表現でさえ、トラブルの元である。「ちょっと」とか、「けっこう」とか、「すごい」とか。日常会話の端々に、こんな表現が混じる。日常会話の延長で打ち合わせをすると、必ず認識に齟齬が出る。

そうなることがわかっているから、打ち合わせの時には、かなり厳密に言葉を確認する。おかげで、心配性キャラ扱いされているようだ。

敢えて云ってしまうが、炎上してから消し止めるのって、名誉でもなんでもないからね?

twitterを鵜呑みにしてはいけないシンプルな理由

(結論)twitterのタイムラインには、自分とよく似た指向性を持つひとが流した、自分が「見たい」情報が流れる。だから鵜呑みにしてはいけない。

所詮道具なので、使い方次第であることは最初に断っておくが、基本的に、twitterのタイムラインには、自分が見たい情報しか流れない。そして、ひとは見たい情報には食いつくが、見たくない情報は無視する特性を持っている。これは人が生来備えているバグのようなもので、油断していると万人がひっかかってしまう、とても高度なトラップである。例えば、twitterに貼ってあるyoutubeのリンクをたどって出てきた動画、その動画を見て次におすすめされた動画も同じようなことを云っていた、というコンボで、「みんなそう云っている」系の錯誤に陥るひともいるようだ。ただでさえひとは見たい情報しか見ないのに、twitteryoutubeも、そのひとの指向を解析して、見たいものを勧めてくる仕組みを持っているため、これらのメディアを鵜呑みにしてはいけない。ひとをだますのは至極簡単である。

twitterはブランド力を作るのには非常に向いていて、twitter上での有名人、なんて不思議な生き物が成立するのは、twitterの基本的な仕組みに原因がある。ひとは自分が読みたいからフォローをするのであって、そもそも自分にとって好ましい情報しか流れてこない。twitterを参考に、答えを得ようとするとどうなるか。答えは探すものではなく、考えるものである。自分の頭で考えろ、と云いつつ、答えはこれですよ(とかいって、少し調べただけでわかるようなばかばかしい内容を勧めてくる)、みたいな動画が溢れているが、「見たい情報から逃れられない呪縛」がいかに強いかという、よい証左だろう。

twitterは自分の見たい情報しか流れてこない。したがって、鵜呑みにしてはいけない。