批判と批難

マスメディアの仕事のひとつは「体制批判」である。権力機構や暴力装置を監視し、必要であれば、それを指摘し、是正するためのひとつのシステムである。にも関わらず、批判と批難が区別できていない。

情報を受け入れる側も、何も考えずにそれを受け入れる人が大半だから、「体制批難」をそのまま議論の余地のない真実だと思い込む。だから、「テレビが云っていた」などと平気でしゃべる。正しいことを追い求めて議論する姿勢は批判的吟味と呼ばれるが、批判的にマスメディアを見る姿勢は、情報という武器を(事実上)無制限に行使できる暴力装置を監視する私たち受け手側の義務である。

一方で、受け手側の反応を気にしすぎて受け手側が求める情報を提供しようと必死になっているのがいまのマスコミであり、ここには批判的な姿勢などまったく見られない。国民という後ろ盾を使って相手を責めて、いい気になっているのがいまのマスコミであり、そこにはプライドは見当たらない。表現の自由が聞いて呆れる。ピーチクパーチクうるさいヒナに、必死になってえさを与えているだけだ。

結局、馴れ合ってイチャイチャしているのがいまのマスコミと受け手の関係であり、どう控えめに云っても気持ち悪い。インフラがマスとして成長しつつあるいま、メディアがマスである必要性は終わったのだろうな、と思う次第である。