ボーカロイドの楽曲を作品として扱うなんておかしい、と呟いたアーティストのtwitterが炎上した、という話を聞いた。そのアーティストいわく、機械といっしょにすんな、ということらしい。

べつにボーカロイドを擁護するわけでもないのだが、たとえばCG技術はどうだろう?クリント・イーストウッドはCG処理を嫌って、必ず生身の人間に(危険な演技はスタントマンがやるんだろうけど)演技をさせると聞いたことがある。CGを使って映画を作ると俳優の尊厳が侵されるだろうか?そう考えることも出来るし、そんな馬鹿なと笑うこともできるだろう。見る側からすれば、あまり大きな差はない。

ボーカロイド作品のボーカルはたしかに機械だが、作曲、作詞は人間だ。作品がアーティスティックなモノであることはほとんど間違いないと思うが、ボーカルの立場にとってみれば、尊厳が侵されたように感じるのかもしれない。

個人的には明確な意見を持たないのだけれど、件のアーティスト、
バンドグループなのだが、このバンドの作詞担当者はこれを聞いてどう思ったのだろう。もしくは、作曲担当者は?ボーカルが機械に変わっただけで作品の尊厳が侵されるというのであれば、そういった作詞作曲担当者の尊厳は、ボーカルの持つ神聖性に比べれば紙切れ一枚くらいの価値しかないということだろうか。

そのうち、危ない演技はCGが担当するようになると思うし、フルCGで映画を作ることだって出来るようになった。生身の俳優は、さまざまな理由で衰退方向に向かうだろう(完全に廃れるとは思わないが)。そのため、この手の議論はこれから頻々と聞くようになると思うが、完全に部外者である私は、楽しめればそれでいいというスタンスである。こういうスタンスは、たしかにある分野の衰退を招くとは思うのだが。