いまも昔も変わらない

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 ハンセン病患者らの聞き取り調査をしてきた天理大学の池田士郎教授は、新型インフル対応でウイルスの弱毒性が指摘されたあとも、検疫官が防護服を着て機内検疫をする姿に「ハンセン病の歴史が繰り返されている」と思ったという。

 戦前、戦後を通じたハンセン病対策では、感染力は極めて弱いにもかかわらず、白い防護服の医療関係者が患者を専用列車に乗せ、隔離施設へ連行。患者の居宅には大がかりな消毒がされ、家族は近所に「迷惑をかけた」と頭を下げてまわった。

 池田教授は「新型インフルの感染者を出した高校に非難が殺到し、校長が世間に『申し訳ない』と謝罪した点も変だった」と話す。

(後略)

感染症に対する意識はいまも昔も大して変わっていないという鋭い分析。確かに、まったくもってそのとおり。私もおなじことを思いましたし、ひと月前に似たようなことを書きました。日本人って、「穢れ」の概念が強いんですね。これは国民性というか、文化というか、まあ、そういった類いのものだと思うのですが、たとえば、お亡くなりになった方の葬式では「清めの塩」を出して穢れを払おうとしますが、だから日本人にとっては「死」は穢れなんですね。占いなんかでは前世の罪業なんかもくっついてきちゃうみたいですが(笑)、そういった穢れはひとにくっついてまわる。だから日本には、その穢れを払うための装置がたくさんあります。宗教的な概念ですが、どちらかというともっと原始的な、シャーマニズムとして成立している概念なんじゃないかと思います。どちらにせよ、そういう国なのです。

だから、そういったものに対してすごく差別意識が強い。文化としてはそれでいいと思います。文化や伝統に悪いもクソもありません。しかし、それが社会的な意味を帯びると話が変わる。ハンセン氏病患者は長い間根拠もなく虐げられてきたわけですが、それが繰り返されたなあ、進歩してないなあとは私も思います。穢れ=ウィルスを払えば感染しないという思想は、じつは無意味な消毒なんかにも通じるんじゃないかと思う今日この頃です。