PIPCの怪

久しぶりに不思議な抗生剤の話を。

ペントシリンの添付文書によると、用法用量の部分には、

ピペラシリンナトリウムとして、通常成人には、1日2〜4g(力価)を2〜4回に分けて静脈内に投与するが、筋肉内に投与もできる。
通常小児には1日50〜125mg(力価)/kgを2〜4回に分けて静脈内に投与する。
なお、難治性又は重症感染症には症状に応じて、成人では1日8g(力価)、小児では1日200mg(力価)/kgまで増量して静脈内に投与する。

とあります。つまり、1g×2/dayとか、1g×4/dayとか、そういう用法になろうかと思います。重症例の部分を見てみると、成人では1日量が8gとなっていますので、4分割で投与したとして、2g×4/dayという用法でしょうか。

さて、と。
同じく添付文書の薬物動態の欄を参照すると、健康成人に1gを投与した場合、最高血中濃度はだいたい60(μg/ml)です。PIPCの半減期は0.7hですから、だいたい1hでおおざっぱに計算してみると、1h後には30(μg/ml)、2h後には15(μg/ml)になると思います。緑膿菌はMICが16(μg/ml)以下は感受性と判定されますから、仮にMIC=16(μg/ml)で計算してみましょう。

βラクタム薬は、薬剤の血中濃度がMIC以上である時間が長ければ長いほど効果を発揮するという性質を持っています。その薬効は(薬剤によって差はあるものの)TAM(Time above MIC)が40%以上で出ると云われているため、TAM>40%で臨床的に効果ありと判断します。

  • 1g×2/dayの場合……2時間後には血中濃度が16(μg/ml)を切ってしまうため、(2/12)*100=16.7%、ぜんぜんダメですね。
  • 1g×4/dayの場合……(2/6)*100=33.3%、おしい!でもダメですね。
  • 1g×6/dayの場合……(2/4)*100=50%、ようやく達成!

6分割投与だなんて、PCGみたい。でもPIPCだってPCG並みに短い半減期を持っている薬剤です。PCGは4時間おきでないとダメなのに、PIPCだけが12時間おきでOKなんてこたあるわきゃない、っていうことです。厳密な計算をすればもう少し結果が変わるとは思いますが、大雑把に計算してみても、1g×2/dayでP.aeruginosa敗血症の患者さんを救うことなんて出来っこない、というのが分かると思います。

6分割投与なんてやってられるか!という声が聞こえてくるので(幻聴か?)、2g×2/dayを検討してみます。

添付文書の薬物動態によると、2gを健康成人に投与すると、最高血中濃度は130(μg/ml)くらいになるようです。例によって、1時間後には65、2時間後には32.5になるとします。3時間後には16ですね。よって、3時間でMICを下回ると考えましょう。

  • 2g×2/day……(3/12)*100=25%−−むむむ、ダメくさいですね。
  • 2g×4/day……(3/6)*100=50%、お、TAM>40%達成!

というわけで、2g×2/dayでもダメ、2g×4/dayでようやくOK、という結果になります。なんだか寒気がしますね。

添付文書通りにやっているのに、なんで臨床的に効果がないの?

重症例でない投与設計の場合、ちょっとMICの高いP.aeruginosaには効果がないことが予想出来ます。緑膿菌を相手にPIPC使ってけんかする場合、常に最大量を投与しなければなりません。セフェムと同じ感覚で投与すると、まったく効果がないことが想像出来ると思います。まあ、PIPCを使わなければならないと判断される局面はつねに重症ですから、常に最大量というのは理解出来ないこともないのですが……

このPIPCに見られる問題は、日本の感染症治療が抱えているいろんな問題を内包しているように思います。まずは、CLSIの判定基準。MICを測定している施設の9割でCLSIの判定基準を用いているらしいのですが、CLSIの判定基準には「大量投与を前提に判定基準を設定している」と明記してあります(あったはずです)。ただでさえ投与量が少ない日本の感染症治療シーンで、この判定基準はほとんど役に立たないと思います。米国の投与量で検討されているCLSIの判定基準をそのまま日本に持ち込むには無理がある。薬物動態などを考慮した、日本独自の判定基準が必要です。

第二に、日本の投与量の少なさ。これは体格云々とはまったく別次元の問題で、日本の投与量は薬物動態的に見て少なすぎます。ついさっきの計算は健康成人の体内動態を使いましたが、日本で認可された薬剤の添付文書なんですから、とうぜんこれは日本人の体内動態でしょう。体格の違い云々は、どう考えても理屈が通らない。だいたい米国では日本人並みに体格の小さい人はいないんでしょうか?日本人並みに体格の小さい人にも、米国人は米国のスタンダードで治療していると思います。体内の代謝経路がまったく違うって云うんだったらまだしも、やっぱり体格云々はおかしな話だという気がします。


私がこんなことを云うのも、まあ重症患者さんが助からないかもしれないという危惧も当然あるんですが、呼吸器に取り付いたP.aeruginosaにPIPCを投与して、「なんでS判定なのに効かないの?」といった内容の質問を何度もされているからです。ほぼ例外なく1g×2/dayで投与されています。いい加減、効くわきゃねえだろ!って云いたいんですが、相手のニュアンスには「これの感受性結果、間違っているんじゃないの?」という疑念が含まれており、いつも懇切丁寧に説明するんですが、理解されたことはありません。だって、投与設計が直ったこと一度もないんだもん。

ところで、薬剤部はこういう投与設計に対して反応しないのでしょうか?そこがすこぶる不思議です。他にも業務はあるので細かいところまで手が回らないのはわかるのですが……