桃太郎をめぐる

なんとなく岡山っぽい風景?

というわけで、岡山県に桃太郎史跡めぐりにいってきました。じつはもうすでに徒歩で行ったことがあるのですが、徒歩ではどうしても回りきれないところがあって、きょうはそれの補完です。目標は「鬼の城」。ふもとの砂川公園までは徒歩で行けますが、それ以上は徒歩ではかなりの覚悟が必要になりますので、おとなしく車を使うほうがよいでしょう。タクシーを使うのもテですが、帰りはたぶん呼ばなければなりません。

こんな感じの風景がえんえん3km

ちなみに対向車が来てもすれ違えるだけの幅がありませんので、路肩を使うか、ところどころにある退避場所を活用して避けていきます。でかい車にはたぶん無理です。おっこちる覚悟がいるかも。

鬼の城「西門」

これは鬼の城「西門」です。見えている門は復元されたもので、見張り&戦闘を想定した作りになっています。この近くには角楼もあり、なかなかの眺めです。まあ、眺めが良いからこその見張り台なんですが……

このまま城壁に沿って、右回りにぐるりと一周します。

北門

鬼の城場内をめぐりたいので、ここから分岐点まで引き返します。

礎石建物群

発掘中らしく、ほとんどの部分にビニールカバーがかけられていました。まさしく発掘現場!という感じです。

第1水門から第0水門へ


おとぎ話「桃太郎」は有名な話しですが、じつは話しの展開にいろいろなパターンがあります。もっとも有名な桃太郎は、「桃から生まれた桃太郎、犬、雉、猿をお供に連れて鬼が島へ鬼退治」のパターンだと思うのですが、岡山に伝わる温羅の話しはなかなかに興味深い話しです。桃太郎の原型になったとも云われています。

以下、Wikipediaより。

温羅伝説とは、吉備地方に残る、桃太郎話のモチーフとなったといわれる伝説である。

古代吉備地方には百済の王子と称する温羅(「うら」または「おんら」)という鬼が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配し悪行を行っていた。これを救うべく崇神天皇孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。温羅に対して矢を1本ずつ射たが岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。温羅が雉に化けて逃げたので命は鷹に化けて追った。更に温羅は鯉に身を変えて逃げたので吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。こうして温羅を討ったという。それぞれの伝説の地に矢喰神社、温羅の眼の血が流れた血吸川、鯉喰神社が存在している。

温羅は製鉄技術をもたらし吉備を治めた技術者であり豪族ではないかとされる。また、血吸川の川の赤さは鉄分によるものであろう。吉備地方は古くから鉄の産地として知られ「真金吹く吉備」と呼ばれていた。実際、鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡が存在する。

高田 崇史:著「QED 鬼の城伝説」では、この解釈だったと思います。おそらく温羅はここいら一帯の製鉄の元締め的存在だったんでしょうね。案外、百済の王子というのも、「(王子だったかどうかはともかく)百済から流れて来た」異人だったのかもしれません。この鬼の城はいろいろ謎の多い城で、形式としては朝鮮式山城になるそうです。日本の記録には残っていないという、いわくつきのもの。

最終的には、温羅は吉備津彦命に退治されていまいます。まあ、そのへんのくだりは別の本を読んでください。

吉備津神社

備中国一宮。吉備津彦の尊が本拠地を置いたところですね。ここには温羅伝説に関係した釜があります。鳴釜神事が有名ですね。

温羅神楽

本殿と拝殿は修繕中で、平成20年に終了予定だそうです。もうちょっとですね。これは温羅神楽。 吉備津彦命が悪事をはたらく温羅を犬や猿たちと退治して吉備の国を統治するまでのストーリィを描いたものです。ちょうどやっててラッキィ。なぜか私が行ったときには弓道部とおぼしき大集団がいて、長回廊を占拠していました。あれはいったい何だったんだろう?

吉備津彦神社にも行きたかったんですが、時間の関係で割愛。これで岡山の桃太郎絡みはだいたい回りました。こんどは日光東照宮に行きたいな……