分析内容について

同じデータフォーマットを使うのであれば、長期的に見て、そのデータを使って行われる分析内容は、同じもの(もしくは似通ったもの)になって行くだろうか?

答えはYes、のような気もするし、Noのような気もする。使う側の人間の使い方次第だと云ってしまうと身もふたもないが、しかし使う人間、もしくは開発する人間が同じような前提、発想、材料に囲まれているかぎり、同じような内容にはなっていくと思われる。

ところでいつも思うのだが、経営分析するときにほとんど必ずと云っていいほど出てくる「固定費を症例毎に配賦する」行為に、意味があるんだろうか?たとえば、医師の人件費は固定費になると思うのだが、医師の人件費を配賦する妥当性はどこにあるんだろうかといつも思う。納得できない。とうぜん素人考えなのだが、ややこしいことを考えずに固定費は最後に収入から引けばいいだけではないのだろうか。

たとえば、私が担当する細菌検査のひとつひとつはこの考え方で行くと赤字になる。ひとつシンプルにした例を見てみると、尿培養の保険点数は130点、培養に使う培地は血液寒天培地一枚だけとする。血液寒天培地は一枚100円としよう。年間1200件の尿培養を実施したら、収入は130*10*1200=1,560,000円だ。そこから培地代の120,000を引く。1,440,000円だ。ところがぎっちょん、従業員がいる以上、ここから人件費を引かなければならない。しかし、単純にここから技師の年間給料をひくわけにはいかない。私は一日10件の尿培養だけをしに出勤しているわけではないからだ。問題は、この尿培養にかかる「時間」だ。

細菌検査をやっている技師、というか、やってない技師でも容易に想像がつくだろう。尿培養にかかる「時間」なんて割り出せるわけがない。尿が検査室に到着して、そこから受付をして、培地を用意して、検体を塗布して、培地を孵卵器につっこむまで五分で終わるとしよう。すると、10検体処理するのに50分かかるだろうか?そんなことはない。複数個の検体を処理するとき、一検体にかかる時間分×検体数だけ時間がかかるなんてことは絶対にない。

単純にこう考えると、この「配賦」する考え方になんだか妥当性が見いだせない気がするのである。従って、個人的には原価計算というものをいまいち信用できない。細かく考えれば考えるほど妥当性が薄れ、マクロにすればするほど実効性に乏しい、そういう印象である。収入を最大限にするためにやるべきことは、おそらくお金を作り出すための費用である事件費を削ることではないはずだと思う。