名もなき雑記(もしくは愚痴か)

いま抱えている仕事がようやく佳境に入りました。

正直気が狂う寸前まで追いつめられたつまらん仕事でした。サービス業は一日に三回小さな不幸が重なると心が折れると云いますが(客からのクレーム、自分の小さな失敗、あとひとつ何かのきっかけ……だったっけ?)、一日につまらん不幸が二回重なることはたびたびあり、ほんとにしんどかった。ただこういうしんどさは他人に云ってもほとんど伝わらなくって、結局ただの愚痴になることが多く、精神衛生上非常によろしくない。こういうしんどさは小さな出来事の積み重ねで、いざ言葉にしてみるとほとんど大したことがないのであります。

でもまあ、ちょっとだけ思うのは、結局、鬱のひとが周囲に理解されないのって、こういう積み重ねがあるんだろうなと思いますねえ。ひとつひとつの出来事は大したことはないんだけれども、その積み重ねで心が折れる。でも、そのしんどさは本人にしかわからない。だから、周囲に理解されない。ここからは私見ですが、だから「他人」に治療される鬱治療ってなかなか奏功しないのかなって思います。結局、自分自身を助けられるのは自分で積み重ねてきたものだけなんだというのが、最近の結論です。

あとは作ったファイル(というか、半分「仕組み」)のドキュメンテーションだけなんですが、これが厄介なんだよなあ……誰にでもわかるように書くっていうのは、ちょっと難しいし、冗長すぎる。バランスを取らないと……

ところで、インフォームドコンセントってよく云いますけど、あれ、結局は医療者側の防御手段にしかなってないですよね。私はべつにパターナリズムの信奉者ではありませんが、医療処置の内容をわかるように一般人に理解してもらうのって、不可能な気がする。理想は治療手段を選べるくらいに理解してもらうのがいいんでしょうけど(インフォームドチョイス)、そうなると私たち医療者がいままで費やしてきた膨大な時間の一部を共有してもらわないといけなくなると思う。まあ、理解度の問題かもしれないけれども……