トンフルについて

疑い例を公表することに対する意義を問いかけるニュース

疑い例を公表することにどれだけの利点があるのか、もう一度考えてみましょう。副作用のほうが大きくないですか?被害者の人権に配慮出来ていますか?まあ、やっぱりいちばんマズいのは、感染者や感染疑いの者を偏見の目で見る、日本的な「空気」なんですけどね……

歴史的にはハンセン氏病患者がずっと差別と偏見の目にさらされてきたわけですが、結局、ぜんぜん進歩しとらんということでしょうか。未知のものに対する理解力のなさは、イコール「弱さ」といってもいいと思います。次の高病原性新型インフルエンザのときには、この疑い例の公表について、もういちどその意義をよく考えて欲しいと思う今日この頃。

しっかし……防護服が売れている、というニュースもあったり、そんなもの買ってどうするんだと云いたくなります。買っていくのは企業の総務担当者だと報じていますが、東京が感染者でいっぱいになったら、とりあえず防護服を着て仕事するんでしょうか。映画の見過ぎですね、ハイ。現実とバーチャルの区別がついてない大人っていやあねえ。

というわけで、一般市民が防護服など買っても絶対に使うことはありません。だいたい、いつ、どうなったら防護服を着るんでしょう?東京が感染者でいっぱいになったら?いっぱいってどのくらい?仮に東京の人口の10%が感染者になったとして、そうして防護服を着たら、もう二度と脱ぐことが出来なくなります。こんどは、いつ脱いだらいいの?ってことが問題になりますから。防護服を脱いだら、目に見えないウィルスに襲われるかもしれませんよ?

防護服ってのは、ウィルスを直接扱うなど、ウィルスがすぐ近くに存在するときにごく短時間で使うもので、一般の人が日常の感染防御用に使うものではありません。だいいち、食事はどうするの?トイレは?あんなもの着て日常生活出来るわけないじゃん……