男性の肖像ーー秋葉原通り魔事件について2

まあ、だから「ゲーム」から残虐描写や刃物表現を取り除いたところで、まったく無駄だと思うわけです。問題は、そういったものを模倣対象としてしまう精神構造であって、ゲームやマンガなどに罪はないと思うわけですね。たとえゲームやマンガがこの世からなくなったって、いつでも社会の中にはビンに火薬を詰めて爆弾を作ろうとする一定数の「男の子」がいるものです。

だからこういった、「ゲームやマンガに影響を受けた」と云われる犯人たちの凶器はナイフなんじゃないかな、とも思います。普通の人は、ミリタリナイフなんか持っちゃいないですよね。犯行に使われたのはダガーナイフだったそうですが、まあ似たようなものです(ダガーは基本的に対人戦闘用の「武器」です)。包丁も使うのかもしれませんが、この「ナイフを犯行に使う心性」というのは、特にゲームの影響だと考えてもいいのかも知れないなと思います。「犯行を起こすこと」が目的であれば、何を使ってもいいわけですが、とくにナイフを選ぶところが特徴的で、また象徴的だな、と感じます。

だからまあ、この流れで考えていくと、こういった犯人たちの目的は、純粋な「殺傷」ではないだろう、と思うわけです。もしこの犯人が生まれながらの純粋な通り魔で、誰でもいいから通りすがりのひとを殺めたくてたまらなかったというのなら、まあ家の近くでひっそりとやっているのではないかと思います。こうやって後先考えず、大きな舞台で派手に殺傷事件を起こしてやろうと考える思考パターンには、たぶん何か共通の理由がある。だから、通り魔のプロファイルなんてものが成り立つわけです。ちなみに、通り魔の大半は男性ですね。まれに女性がいるようですが、ほとんどは男性なのです。だいたい、こういった意味の分からない殺傷事件を起こすものの大半は、男性であると云ってもいいでしょう。

男性であること、これは通り魔的な事件を考える上で、重要なファクタのひとつなのではないかと思います。ゲームやネットの影響などを考えるよりも、ずっと大きな意味合いを持っている。男性のジェンダーイメージは、おそらく「力」や「強大さ」でしょう。究極的には、「勝ち進むこと」が男性に求められる、大きな役割のひとつです。遥か昔から、狩りは男の仕事で、家事は女性の仕事だったのです(まあ逆の場合もあるようですが)。

続く。別に私は女性が家事しないといけないとは思っちゃいませんよ。