葬儀

まあすこぶる調子が悪い。非常に悪いを通り越してしまっており、飯を食べる気にもなれない。


先日は亡くなったばあ様の葬儀でした。片道500km離れたところまで車で走ってきたので、さすがに疲れましたね。前述のとおり、かなり距離があるので、けっきょく死に目には会えませんでした。夜勤もありましたしね。あと一週間、と云われていましたが、病状から判断するかぎり一週間はもたないだろうと判断し、仕事などをあらかじめ調整していましたので、割とすんなりと忌引きを申請して葬儀に参列できました。余命の判定が担当医よりも正確なのはなんとも云えません。が、予想通りになったところでうれしくも何ともないわけで、もっと頻繁に会いに行ければといまさらながらに思います。孫のことを何よりも気にかけてくれるばあちゃんで、私の受験のときなど、水垢離までしたというエピソードがあったりします。


大学受験のときには「医療系の実績がないから考え直せ」とさんざん高校から云われたものですが、「アホ抜かせ、実績がなくても通るもんは通るわ」などと思っていたものです。しかし、このばあちゃんがいなければいまの私はなかったのはほぼ確実でしょう(別に水垢離が効いたとかそういう話しではありません)。加えて云うなら、そのばあ様と同居していたおじさんがいなかったら私はたぶんいまとは全然関係ないことをしていたに違いなく、このふたりは私の人生の方向性を決めてくれた大事なひとです。そういえば、最後の最後までばあちゃんは俺が医者だと思い込んでいたなあ(別にぼけていたわけではないんですが)。


というわけで、最後に会ったのが半年前の爺さまの葬式だった、という、何とも祖母不幸なことをしてしまったわけで、まさしく後を追うように、という感じです。まあほかにも十年ぶりくらいにいとこに会ったらルパン三世みたいになっていたとか、よく口の回るおばさんがさらになめらかにパワーアップしていたとか(余談ですが、私はこのひとを掛け値なしに尊敬しております)、いろいろあったっちゃあったんですが、いろいろありすぎて疲れました。疲れたので、これを書いているわけです。人の死を理解できない子供が、いつまでも葬式ごっこを繰り返すように。こうやって、ひとはクールダウンしていくんでしょう。



見上げれば抜けるような青い空。

きっと天国に行けただろう。