失意

気がついたときには、完全に調子が狂っている自分だけが取り残されていた。この数年は何だったのだろう、そんな愕然とした思いだけが、頭の中をぐるぐるとまわっている。この調子が狂ってしまった自分をもとに戻すのは至難の業だろうということは、自分の体だけによくわかっていた。些細なストレスにものすごく弱くなってしまった自分に気がついたときには、もうすでに取り返しがつかないところにまで踏み込んでしまっていたようだった。

半年が過ぎて、自分の幅を広げようと云う試みは、完全に失敗に終わったことを知った。それはしくじったという意味ではなく、そもそも20歳を過ぎてそんなことをするだけ無駄だったのだということを思い知っただけだったのだ。

自分の幅を広げると云えば聞こえがいいが、結局のところ、その先に自分が求めているものはなかったのである。まったく違う考え方に触れてみて、そこから何か見えてくるものがないだろうかという漠然とした期待がそこにはあった−−が、その先に道はないということを思い知ったときには、もうすでに半年が過ぎていた。

将来のビジョンがない挑戦はただの逃げに過ぎない。つまるところは、そういうことだったのである。自分の求める物がないところに道はない。そんな道は探すだけ無駄なのだ。選択肢の多さは、人生を疲労させ、ときに自分自身すらだましてしまう逃げ道を造るだけである、ということを私は学んだ。選択肢の少なさは自分を追い込んでしまうが、選択肢が多くてもそれほど有利なことはないのである。

失意とは、「望みが遂げられなかったり、当てが外れたりして、がっかりすること」の意味だが、「すべてが間違っていて何もうまくいかない気持ち」を表している。失意とは、自分に向けられた失望のことであると言い換えてもいいだろう。


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