自由がなくなれば、世界はもっとよくなるかもしれない

ワクチンを打たない自由がなくなれば、感染対策はもっと簡単に、シンプルなものになるだろう。政治信条の自由がなくなれば、政策はもっと統一化され、国家として安定した道を淡々と歩いていけるだろう。科学的に間違っていることがはっきりしている事柄を信じる自由がなくなれば、世界はもっと素早く科学を発展させていくのではないだろうか。

結局のところ、反対意見を尊重するのは、「間違えないこと」を最優先した結果である、とも云えるだろう。決して、反対意見を尊重しているわけではない。現に、宗教戦争は起こるし、相手の人格までも叩き潰すような無意味な論争も起こる。そこから何が生まれているのだろうか?無意味な論争が起こり、無意味に時間が浪費されているだけではないのか?

反対意見は大事だが、それはブレーキとして求められているに過ぎない。だから、おそらく、反対意見を述べる自由がなくなれば、世界はもっと素早く発展していくに違いない。ことの是非はともかくとして。