盲目の規範ーー秋葉原通り魔事件について6

だから、彼らは実は「優れていないと自分の居場所がない」と感じているひとたちなのだ、とも云えないでしょうか。

というか、社会的な生活を営む自立した個人であれば、少なからず社会的なジェンダーイメージを押し付けられることに閉塞感を感じているはずです。これは男性でも女性でも、ほとんど変わりないでしょう。男性はその抑圧を「闘争と破壊」というかたちで外に向かって表現しますが、女性の中には「拒食症」というかたちで内向きに表現する方もいらっしゃいます。「やせていること」が、社会が女性に求めている(と感じられる)ジェンダーイメージのひとつだからです。「美しい女性」=「やせている女性」ということは「やせている女性」=「美しい女性」であることとイーコールではありませんが、少なくとも拒食症になってしまう女性は「美しくあるためにはやせていないといけない」と感じているようです。ここまでならほぼすべての女性が多かれ少なかれ感じていることなのかなと思いますが、「自分の居場所を得るためには、美しくなければならない」のだと思いこむようになってしまうと、これは「まずやせていなければならないのだ」という強迫観念に化けてしまいます。だから、がりがりにやせて骨と皮だけ、という状態になっても、やせることがやめられないのではないか、と思うわけですね。男性が外向きに力を行使しようとするのに対して、女性は内向きに力を及ぼそうとするのだ、と云ってもいいかもしれません。(もちろん、女性の通り魔がいないわけではないので、ここで云うことは所詮一般論に過ぎませんが)

もしゲームが人間の思考に悪影響を与えるのだとしたら、なぜそういった内容のものが「求められているのか」、それを分析することなしに規制することには意味がありません。近視眼的に目先の「ゲーム」や「マンガ」を規制することにやっきになっていると、もっと大事なことを見落とすのではないかと思う次第です。

ようやく終わった(笑)。