不思議と思うこと

いま思ってみると、「頭が悪い」といって嘆いているひとにかぎって勉強していなかったように思う。中学や高校の勉強なんて、才能はまったく関係がない。テスト前にどれだけ時間を割いたかで、テストの出来が変わってくる。もちろん頭のいいやつは勉強に時間を割かなくてもそれなりに点数を取れるはずだし、理解力にも差が出てくるので自ずから点数もよくなるものだが、基本的に100点という上限がある以上、勉強のできるヤツと同等の点数を取ることは十分可能である。つまり、才能とは「道を走る速度(理解力)」であり、ゴールにたどり着くまで距離が「問題の難しさ」だ。理解力に乏しいひとはゴールにたどり着くまでの時間が長い。これは仕方がない。答えが用意されている以上、こつこつと時間をかければ、いずれゴールにはたどり着く。

頭が悪いからといって勉強しないひとは、たぶんゴールまでの距離が見えないのだろうと思う。どれだけ走ったらいいのかわからないので、「もしかして、やったことがすべて無駄になるんじゃないか」という恐怖がある。だったら……というわけだ。勉強にかける時間を別のことにまわして、別のことをしたいと思うなら、それはそれでいいと思う。持てるものは有限なのだから、自分の持てる範囲でいろいろやってみることは重要だ。まわりから強制されて自分の可能性を勉強だけに絞ってしまうのは、とても愚かしいことだと思う。「自分は違うことに才能を発揮出来るのではないか」と考えてみることは、とても重要なことだ。

でも、だからこそ、自分のやっていることが無駄であるように思える。もっと違うことに力を発揮出来るのではないかと思ってしまう。そうやって考えだすと、いまあるしっくりこない現状から逃げ出したくなる。逃げ出した結果、もっといいものに出会うこともある。逃げ出した先でもっと行き詰まることもある。だから、それを繰り返すと徒労感がつのる。人生にむなしさを覚える。自分は何をやってもダメだと思う。でも、ひとつのことに固執して、それだけを伸ばしていきたいと決意するのにも勇気がいる。すべてが無駄になる恐怖がある。人生は有限だ。もっとも大事な資産である時間を食いつぶす恐怖は、残念ながらそれなりに年を取らないとわからない。

さて、何が云いたいのだというと、「自分はもっと違うことに力を発揮出来るのではないか」と思うこと、それ自体は、「自己実現への欲求」の現れなのだ、ということだ。つまり、これは現状に満足していないからこそ表に出てくる欲求なのである。自分には理想がある。その理想とのギャップが存在するかぎり、自己実現への欲求はなくならない。現状に満足してしまえば、そういった要求はなりを潜めてしまう。これがいいことなのか悪いことなのかは、それぞれだろう。私はいいことだと思う。たとえどのようなレベルのものであれ、自己を実現するということは尊いことだ。他人の自己実現に対してあーでもないこーでもないと平然と意見する人間は、自分の自己実現に対して、おそらく一生満足することが出来ない。彼の自己実現は、比較によって成り立っているからだ。

だから、この「理想」というバケモノがいちばん厄介なのである。大半の人間は、この理想を周囲から取り込んでいる。「あのタレントのようになりたい」、「あのひとのようにお金持ちになりたい」、「東大に入っていい会社に就職したい」……そういった具体的な理想像は、ほとんどの場合、周囲から植え付けられたものだ。親から植え付けられたものもあるだろうし、マスメディアによって植え付けられたものもあるだろう。だが、ひとはそれで十分、自分の理想というものを錯覚出来る。だから何かの拍子に借り物の理想を達成してしまったときに「燃え尽きる」し、何をやったらいいのかわからないという状態にもなるのだ。それは精神的な未熟さの現れだとも云えるが、現代にはそういった理想像を取り込む機会がいくらでもある。雑誌、テレビ、インターネット。昔は学校や親など、もっと身近な存在が理想像になりえた。親の背中は子供にとって、もっとも強い理想像のひとつだったのである。いまは「日本一」がその理想像にとって変わりつつある。親よりもずっと優れているものがあるかもしれないと、人生の早い段階で知ってしまうのは、ある意味不幸なことだとも云える。

私はこの「比較される理想像」がもっとも根源的な社会的病理の根っこのひとつだと思うのである。私はなかでも拒食症と過食症に興味があり、とくに拒食症には関心が強い。あるべき姿とのギャップに耐えられないーーそういう病態である。このような病態を示すすべての疾患については、たぶん「あるがままに自分自身でもいいのだ」ということを実感出来るか、もしくは理解出来るかが鍵になるのではないかと思うのである。

実際、何をやってもダメだという人間は、そうはいない。自分で云うほど何も出来ない人間なんてそうはいないものだ。……まあ、自分で云う以上にダメな人間はごろごろいるんだけどね。