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東亰ザナドゥやってみたよ その2

もう少し突っ込んだ感想を。


前回で触れた「ちょっとモノしてみました」感は、作品の空気を決定的にダメにしている。既存の概念を引っ張ってきて、粘土をこねくりまわすようにちょいちょいと小手先で作り替えて、みんなこんなの好きだよね、的な作品を作る手法は、マーケティングとしては悪くない(そこそこ売れるし)。作品として見た時、ペルソナ3(もしくはペルソナ4)と軌跡シリーズと最近のイースシリーズを足して平均を取った感じ、と表現すれば、この作品のすべてを余すところなく伝えることが出来る。雰囲気は近年のペルソナシリーズ、RPGとしては軌跡シリーズ、アクションとしてはイースシリーズで、このすべてを足してこねくり合わせてちょいちょいと作品の形にしたのが東亰ザナドゥである、と表現されても、これは仕方がない気がする。もちろん、制作サイドから云えば「そのようなことはない」のかもしれないが、少なくとも「制作する際にまったく意識しなかった」と主張するのは、無理があるだろうし、そこから一歩踏み込んで新しいものを作ることが出来なかったのは間違いない。

オリジナリティがない、と表現するのはオリジナリティがないが、とにかく東亰ザナドゥ独自の要素は皆無だと断言してよい。都市神話なぞ欠片も出てこないし、ストーリィにもまったく関係がない。ストーリィは非常に単調で、こちらは「シナリオを書いている人の顔が見えてくる」点でプレイヤの興を削ぐ。そもそもゲームをしているプレイヤは「心地よく騙されたい」のであって、その点において、リアリティはとても重要な要素のひとつなのだが、どうもライタの口癖なのか、一昔前のライトノベルを彷彿とさせる言い回しが繰り返しでてくるのである。主人公の両親が海外出張中(。。。だったっけ?)なのもステレオタイプだ。父権的存在の欠如はライトノベルのお約束のひとつだが、見事にあてはまる。いまどき、その言い回しはちょっと。。。という、おっさん的ライトノベル読者の顔がちらちら見えてしまうのである。これは私がおっさん的ライトノベル読者なので、余計にそう思うのかもしれない。しかし、「バナナフランベみたいに燃えてしまうのではなくって?」的言い回しが全編に見られ、そこに中途半端なメタ発言が加わるので、そのためだんだん読んでいるのがきつくなってくるのである。どちらにせよ、現代劇としては文章にかなり難があり、外した、と云っても差し支えあるまい。

純粋にアクションゲームとして楽しいか、と云われれば、これもかなり厳しい。この手のゲームであまり脳筋プレイはしたくないのだが、どうしても脳筋プレイをせざるを得ないつくりになっているので、仕方なく終盤脳筋プレイ専用に装備を整えたところ、構造上必要な所以外で、キャラクタチェンジを必要とするシーンがまったくなくなってしまった。突っ込んでいって攻撃の繰り返しでたいてい済んでしまう。もしくは射撃系スキルが強力すぎて、遠距離から射撃スキル→回避→射撃スキル→回避。。。でほとんどが終えられる。ボス戦ではおおむね近接で回避不能な広範囲攻撃が飛んでくるので、近接戦闘はほぼ絶望的なのだが、それもあいまって、遠距離から射撃スキルをえんえんと使い続ける、シューティングゲームと化してしまった。せめて、「防御」できれば違ったのかもしれないが、残念ながら防御は出来ないので、やはり遠距離攻撃が最適解になってしまう。回避も出来るが、タイミングが割とシビアなので、マニア向けだろうと思われる。総じて、道中は近接戦闘ごり押しの脳筋プレイ、ボス戦は遠距離ごり押しの脳筋プレイと、仕組み上、脳筋プレイに落ち着いてしまうのが残念であった。ここもイースと同じ特徴である。デビルメイクライほど楽しければ、また違ったのかもしれないが、残念ながらイースとの違いが見いだせなかった。

冒頭にも書いたが、「モノす」のも、マーケティングとしては悪くない。しかし、どうも、(軌跡の)次回作を作るのに予算がないから、とりあえず適当な新作を作って予算確保するかぁ、という卑近な連想をさせるゲームなのであった。南無。

そういえば、過去の軌跡にボイスをつけて売り直すとかって手法も、予算確保を連想してしまうので、そういう意味で軌跡シリーズの今後は心配である。3Dにしたことで、制作費用も期間もあがっただろうし。シナリオさえしっかりしていれば、別に2Dでよかったのにね?それが売りだったはずなのに。。。ちなみに、閃の軌跡はやってません。空の軌跡FCバンザイのひとです、私は(苦笑)。

トワ姉さんに関しちゃ、これが(軌跡シリーズ)の時の至宝でした、くらいのオチがなければ、もうみんな納得しないんじゃね?(苦笑)