具体的なことは何ひとつ役には立たない

具体的なことは、所詮n=1にすぎない。一般化されていない他人の体験など、役に立つはずがない。

忘れない、という能力は、おそらく有能でありたいと願うすべての人の土台となるべき能力だ。頭の中の作業用メモリの中に多量のデータを蓄積できるということは、それだけで有利であると云える。ある日、その闇鍋のようなデータのごった煮の中で、化学反応が起きる。雑多なデータは処理されて一般化され、そこから新しい何かさえ生まれてくるかもしれない。周囲の有能な人を見ていると、忘れないこと、日常から一般化された何かを見つけ出すことは、大事な能力の様に見える。

そこらへんにあふれかえっているビジネス書は、具体的にあれをしなさいこれをしなさいと指示するけれども、おそらくそれがある人にとって妥当であるかどうかは二の次なのだ。私はこれで成功しました、(あなたに合うかどうかは知らんけど)あなたも試してみてはどうですか、ということだ。たとえば、「メール返事をすぐに返すと、年間82時間の節約になります」とか、「メールの返事を返さなければ、年間平均3人の友人を失います」とか、定量化もされていない。もともとビジネスシーンが定量化も定義もほとんどされていない(馴染まないと見なされている)分野だから、これから先もおそらくそのような一般化はされることがないだろう。

これだけ多くのビジネス書が出ているところを見ると、やはりみんな悩んでいるのだなと思うし、みんな有能でありたいのだなと思うし、成功したいのだなと思う。まあ当たり前のことではあるのだが、だからこそそのニーズを捉えた市場が成立し、成功している人もいるわけで、その輪っかを思うと、複雑な気持ちになる。

ちなみに、ある技術によって多くの人が成功しているのであれば、その技術はすでに陳腐化しているはずである。身につけていなければいけない技術になっているはずだ。従って、ほとんどの場合、ビジネス書というのは、自己啓発が目的となる。つまり、少し言葉が悪いが、自己満足が目的である、とも云える。

決して、悪いことではない。それでいいのでは?