ぼちぼち思うことだが

いまのマスメディアに未来はない。これは紙メディアであるとかテレビメディアであるとか、そういうことではなく、一般大衆を相手に、超巨大な規模の市場を形成しようとしているメディア、というくらいの意味にとってもらったらいいかもしれない。このようなメディアは一般大衆の関心を広くすくいあげなくてはならないが、そのような形成パターンをとるメディアはどうしてもその知的レベルを底辺に持って行かざるを得ないのである。「知的レベル」の定義は曖昧だが、まあ、おのおの感じるままに定義してもらったらそれほど問題はないと思う。

従って、紙であろうがテレビであろうが、読み手を選ばないメディアに先はない、といってもいいのではないか。これは実は他の商売にも云えるのではないかという気がしている。物の売り手はたしかに「お客様は神様です」と思っているが、それを真に受けて勘違いしている買い手が大勢いるように、売り手が買い手を選ばない市場というのは、やはり何かおかしいのである。ウチの店が気に入らねえの、じゃあ出て行けよ、くらいのことが云えるような立場でなければ、バランスが取れないのではないかと思う。これが云えない理由は、大同小異の売り手が乱立していることにもあるだろうし、物が飽和していてどこにいっても同じ商品が買えてしまう時代だと云う背景もあるかもしれない。

新聞はもっととんがっていいと思うのだが、それではたぶん、食べていけないのだろう。たとえば、別段芸能ニュースを下に見るわけではないが、芸能ニュースは週刊誌におまかせ、スキャンダルは週刊誌におまかせ、そういう棲み分けはあってもいいと思うし、新聞は事件や社会世相に特化し、関係者が読んでもすべてが納得できるほどの内容と密度を保つべきだと思う。もはや新聞に、「真実」を伝えるだけの体力も能力もないのではないかという気がしている。いまのマスメディアから納得できるほどの情報を得ることは難しい。

もっとも、これは無茶な要求なのではないかと云う気がしないでもないが……紙メディアが没落しようとしているのではなく、コンテンツが没落しようとしているのではないかと危機感は、あってもいいんじゃないかと最近思う。少なくとも……読み手の共感を得ようと四苦八苦した文章って、読んでると気持ち悪いヨ?勧善懲悪の図式に持っていくのも古いと思うし、危ないと思うし。