オープンソースノベル(適当)考

その昔、オープンソースの小説作品が成り立つかどうかをマジメに考えたことがあります。結論は、「不可能」。創作というのは極度に個人に根ざしているので、それを「共有」することはほとんど不可能である、という結論です。作家というのは唯一無二の個性であり、創作という行為は根本的に個人の感覚に根ざしてい過ぎる。これをオープンソースという感覚で扱うのは不可能だと考えました。

私は栗本薫の描く「グインサーガ」が大好きでずっと読み続けているんですが、グインサーガと同じアイディアを使って他の誰かが書いたところで、「栗本薫グインサーガ」と同じ魅力を生み出すのは不可能です。これはたぶん、断言出来るでしょう。個人的な趣味と云う欲目もありますが、私は栗本薫と同程度の筆力でファンタジーを書いている現代の作家を知りません。困ったことにグインサーガは作者が死ぬまでに完結しそうにないのですが、たぶん栗本薫以外の誰かが、栗本薫のプロットをすべて受け継いで書き続けたとしても、いままでのグインサーガの魅力は保てないでしょう。それくらい、作品は作家の個性に根ざしている。(もちろんここで、新たな魅力が見いだされる可能性もあるわけですが)

文字なら誰にでも書ける、という安易な思い込みがあり、どうやらそういう勘違いがアイディアさえ共有出来ればオープンソース化が可能ではないか、という安易な思いつきに結びつくんだろうなあ、と思いました。アイディアだけが個人に根ざしていると考えがちなのも、たぶん重要な勘違いのひとつです。アイディアさえあれば、俺にだって小説の一本や日本書けるんだぃ、なんて思う時期が、文学青年にはあるんだよなあ……ああ、若かった。

まあ中にはペリー・ローダンなんていう、300巻以上続いているバケモノみたいな小説もあるんで、まったく不可能だとも思いませんけど……あれはアレで、なあ……

まあ、リレー小説がいちばん形式としては近いかな、とは思います。中心となる核設定があって、その世界でキャラクタを自由に遊ばせる著者がいて、それらの作品が寄り集まってひとつの大きな作品を作る、こんな感じの形式なら成立するかなあとか思ったりも。そう考えると、二次創作はそれに近いのかもしれません。あと、テーブルトークRPGは割とこの形式かもしれませんね。こう考えるとわりと現実味が出てくるかなとか思ったりもしますが、いずれにせよ趣味的な世界になってしまうでしょう。

アイディアなんて、世に出た瞬間に切れ味がなくなってしまうものだし。