研究とその価値

研究用の資材の検討をした。どうも概算で、10万から40万くらいかかりそうな感じ。分析に使う装置が検査室にあれば、10万もかからない。どうしたもんか……

正直なところ、10万円前後なら自費で出してもかまわないとさえ思っているのだが、たぶんそんなことはさせてもらえないんだろうなあ。そして病院が研究に10万円も出資してくれるとはとうてい考えられず、けっきょくレトロスペクティブに症例をまとめていくくらいしか「研究」出来そうにない。こういうときに、大学っていいなと思うわけだ。いつだって、ありがたみが分かる頃には遅すぎる。ありがたいという感覚そのものが、そういう経験をもとに出来ている。

知りたいという欲求に10万円をつぎ込むことに抵抗はない。面白いくらいない。ゲームを10万円分買うとしたらためらうだろうし、実際5万円の電子ピアノをいまでも迷っているのだが、面白いことに、10万円を研究につぎ込むことに抵抗がないのだ。さすがに10万円を超えると抵抗がある。つまり、そのあたりにこの研究に対する価値を想定している、ということになる。もっと価値があると思えば、たぶんそれなりに適正な(もしくは常識的な)価格までは負担してもかまわないと思うようになるだろう。もしくは、どんなことをしてでも、費用を捻出しようとするはずだ。

研究者にはいわゆる変人が多いと聞くが、それは基本的に価値観の相違に基づく認識だと思う。研究に自費で10万円出すと聞いたときの反応は、ひとそれぞれだろう。ちなみに私は年に数回、自費で学会・勉強会の類いに参加する。参加費1000円の勉強会に、25000円の交通費を出して参加する。それは、それにそれだけの価値があると「私が」認識しているからだ。だから私がそう思わないようになれば、勉強会にも参加しなくなるし、学会にも出かけなくなる。いまは、昔ほどは参加しなくなった。何回か参加して、だいたい現状はこのようなものかと認識出来たからだ。参加して、同じ話を三回聞けば、そのあたりが「現状」だろうと考えている。


まあ正直なところ、研究の費用の検討なんかしている暇ないんですけどね。年度末ってなんでこんなに忙しいんだろう……