どんな分野にも「常識」というのがあるのだが、この常識というものは、過去の経験に基づいた、一種の経験則であることがある。さいきんよく思うのだが、この「常識」がいろんなものの限界を決めているような気がするのだ。組織の中に漂っている常識が、いろんなものを邪魔していると思う。はなっから、コレは出来ません、という雰囲気があるのだ。
まあトシを取ったらモノが覚えられなくなるって云うし、あまり多くを看護婦に期待することは出来ないのかもしれないが……
若干まとめ。いったい何のまとめだ(笑
- 病院の在院日数を決めているのは何だろう?
- 基礎的な在院日数は病院の性質によるだろう。
- 慢性期の病院は在院日数が長いのは当たり前。
- いまの保険診療制度は、慢性期の病院は儲からないように出来ている(と思う)。
- 院内感染などのバリアンスは、ひとたび起きれば明らかに在院日数を伸ばしてしまう。
- 院内感染が頻発する病院は、在院日数も長いに違いない。
- 本来発生しない疾患なわけだから、その治療に余計にお金がかかる。
- つまり、DPC下では、感染の発生そのものがコスト増である。
- どうしても感染のリスクを避けられない状況は存在しうる(術後とか)。
- もともと感染症で入院した人に対する治療は、出来るだけ安価な抗菌薬を使って治療することになるだろう。
- むやみに抗生剤を使うと、経費がかさむ。
- 適正使用は必須。1日6000円かかる抗菌薬10日間の治療と、1500円の抗菌薬10日間の治療では、雲泥の差。
- 高い薬が必ずしも最適な選択ではないのは当たり前。
- 使わなくてもいい広域の薬を使い続けて、あげくに下痢をして、その下痢のせいでさらに入院期間が延びて、その下痢を治療するためにさらに新たに薬を使って……などというのは本末転倒では。
- こういう観点から、薬の適正使用を推進するのもテかな……
- 基礎的な在院日数は病院の性質によるだろう。