大野病院医療事件・判決

ご遺族の方にご冥福申し上げます。私はこの事件を「不幸な出来事」だったとは思いますが、担当医師が逮捕されるのにはどうにも納得いきません。ただの一個人ではありますが、ここで記事として取り上げる以上、そのような意見を持っているのだということを、最初に申し上げておきます。

この判決は多くのメディアが報道したのでご存知の方も多いかと思います。産婦人科医師に衝撃が走った、大きな事件です。私の病院にも署名が回ってきていたのを知っていますし、医療のあり方について、医師とそれ以外の一般の方の間に深い溝があるんだということを浮き彫りにした事件でもありました。

しかしまあ、この読売の記事はイケてない。というか、お前が云うな、という感じ。報道というものに感情がこもることについて、いいことなのか悪いことなのか、それは私にはよくわからない。しかし、せめて客観的であって欲しいとは思う。感情のこもった情報は、すでに情報として役に立たない。その情報を受け取って考えるのは、受け取り手の仕事だと思う。一般市民の代弁者のような態度をマスコミが取るのは、私個人としては好きではない。

ところどころ削除してはあるが、読売の記事を引用しようと思う。

 産科医不足を加速させたとして医療界が注目した「大野病院事件」に、無罪の司法判断が下った。

 帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死罪などに問われた加藤克彦医師(40)に対する20日の福島地裁判決。

 加藤医師は落ち着いた表情で判決を聞き、傍聴席の最前列に座った遺族は顔をこわばらせ、無念さをにじませた。

 加藤医師は、白のワイシャツにグレーのスーツ姿で一礼して入廷し、直立不動で言い渡しを待った。

 「被告人を無罪とする」。主文が読み上げられた瞬間は、冷静な表情のまま、わずかに頭を下げた。

 判決理由の中で、帝王切開手術を再現し、経緯を検証する部分では、うっすらと浮かんだ涙をハンカチでふいた。後方に座っていた弁護士に顔をのぞき込まれ、声をかけられると、大丈夫というようにうなずき、冷静な表情に戻った。

 一方、亡くなった女性の父親、渡辺好男さん(58)は、最前列で傍聴した。主文読み上げの瞬間、驚いたような表情で鈴木信行裁判長を見上げた後、厳しい視線を加藤医師に投げかけた。

 加藤医師は、約2時間20分にわたった言い渡しの後、傍聴席の遺族の方を向き、深々と頭を下げた。

 渡辺さんは判決前、「なぜ事故が起きたのか、なぜ防げなかったのか。公判でも結局、何が真実かはわからないままだ」と話した。

 あの日、妻(55)から「生まれたよ」と連絡を受けて病院に向かった。ハンドルを握りながら、娘に「もうすぐクリスマスとお正月。二重三重の幸せだな」と声をかけようと考えていた。

 病院に着くと悲報を聞かされた。1か月前、左足を縫うけがをした渡辺さんを、「体は大事にしなよ」と気遣ってくれた娘だった。

 帝王切開で生まれた女の子と対面した娘は、「ちっちゃい手だね」とつぶやいたという。これが最期の言葉になった。娘の長男が「お母さん起きて。サンタさんが来ないよ」と泣き叫んだ姿が脳裏から離れない。

 「警察に動いてほしかった」と思っていた時、加藤医師が逮捕された。

 「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。

通常の医療行為を行っていたにもかかわらず、その結果責任として担当医師が逮捕された、というのが医療者たちの認識だったと思います。そしてその事実は、産婦人科医を震え上がらせました。産婦人科医って妊婦さん相手ばかりしている科というイメージもあるんですが、現実はけっこうシビアなんですよ。見逃すと即座に命に関わる疾患がごろごろあります。医療行為の結果なんて誰にも分からないんです。「結果が予見出来たにもかかわらずそれを回避しなかったこと」を罪とする業務上過失致死罪の適用は、私もナンセンスだと思います。

引用部分に色を付けた部分は不要です。読んでいて非常に不愉快な部分。書き手の思惑がどこにあるのかは知りませんが、作為的で、非常にわざとらしいと感じます。書く意味などあるんでしょうか?書かなくても、事実関係の意味は通ると思いますが。


ご遺族の「真実が知りたい」という気持ちはもっともなことだと思います。しかし何をもって真実とするのでしょうか。真実って何なんだろうと思います。医療に真実なんかあるんでしょうか。たぶん確実に云えるだろうということは、「医療の本質は確率論だ」ということだと思います。ここをこうしたら結果がこうなる、という保証は、誰もしてくれません。そういう1対1で結びついた原因と結果があると考えること自体が間違いだと思います。「大野病院でなければ亡くさずに済んだ命」かもしれません。しかし、そんなことは誰にも分からないのです。適正な医療を施して、なお亡くなる患者さんは大勢いらっしゃいます。適切な抗生剤を投与されながら感染症で亡くなる患者さんなんてごろごろいます。もっと早くに感染症が見つかっていたら治癒したかもしれませんし、それでも間に合わなかったかもしれない。誰にも分からないことです。悲しい事実ですが、誰にも分からないんです。あえて云うなら、これが医療の真実なんじゃないかと思います。