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ただの「いいひと」と仕事の話

以前、常に「忙しい人」は「ただのいいひと」である可能性がある、という話しをした。

「いいひと」には、自分は何になりたいのか、というビジョンがないし、だから舞い込んでくる仕事を片っ端から引き受けてしまう。片っ端から引き受けてしまう理由は簡単で、自分の能力に対する自信のなさから、「この仕事を引き受けることで自分のテリトリを確立しよう」とする、動物的な本能である。自分の能力に自信を確立した者は、何でもかんでも仕事を引き受けたりはしないものだ。その能力故に、自分の能力を必要としている仕事がいつか必ずやってくることを知っているからである。

つまるところ、「いつも忙しそうにしている良い人」は、基本的に「自分に対する自信のなさ」の現れである、といってもよいかもしれない。そういうひとは、本能的にやってくる仕事を断ることが出来ない。これは本能的な反応であり、よっぽどでなければ、拒否することはしないはずだ。「それは雑用なので、もっと別のヒトに回してください」と云えないである。能力に自信のある者は、「それは別のヒトでも出来るので、違う仕事をください」と云えるだろう(もしくはそういう態度を取れるだろう)。そういうひとには、そういう仕事がやってくる。まわりもそういう風に認識するため、自然とそうなるのだ。そういう風に出来ているわけである。

自分の走っている先に何があるのかを知っているひとは、たとえ寄り道しようとも、結果的にその「何か」に向かって走り続ける。だから、後から振り返って、「ああ、あのとき寄り道をしていたと思っていたけど、あれはこういうことだったのだな」とこじつけができるのだ。ビジョンのない人間には、そのこじつけすらできない。だから、やらない後悔が強くなる。「やる後悔」も「やらない後悔」も、さして重要ではない。重要なことは、自分が何者になりたいのか、というビジョンだ。ビジョンのないところに挑戦はないし、ビジョンがあれば、どんな後悔であろうと、それは有意義なものになり得る可能性がある。

従って、学生のときにそういうビジョンを持てた人間は、きわめて強い精神性を発揮するであろうことが予想される。