ドキュメント

ドキュメントやマニュアルの大半は役に立たない。体裁が整っていることしか褒めるところがないドキュメントもいっぱいある。読まなくてもわかることしか書いていない絶望的なドキュメントもあれば、読んでも理解できる人がいない、歯抜けだらけのドキュメントもある。
つくづく、ドキュメント作成は、サイエンスに基づいたアートなのではないかと思う。つまり、センスがないと時間だけが浪費され、作る人、読む人、全員が不幸になる。

ドキュメントがそろっているかどうかも、わりとセンスを要求される気がする。これだけだと何を云っているのかわからないが、つまり、必要なことを、必要なだけ、過不足なく、ということだ。抜け漏れダブりなく、要件をリストアップできるというのは、立派な能力だ。たとえば、カレーを作るのに必要な食材を、料理をしたことがない小学生に買いに行かせるシーンを考えてみる。このお使いが成功するかどうかは、買い物にいく小学生の能力ではなく、買いに行かせる側の能力が問われているのは、ほぼ自明であろう。カレーを作るために必要だと考えているものを、抜け漏れなく、伝える技術。抜け漏れなく伝えて、はじめて前提が整う。仮に、買ってきたものでじゃがいもが抜けていたからといって、買い物に行かせた小学生を責めるのは筋違いであろう。・・・じゃがいも、カレーに入れるよね?

ドキュメントを見ない人もいる。過去に不幸な体験をしたのであろう。そういうひとが作るドキュメントはさらに不幸を生み出すので、不幸は連鎖するものだなあ、と思わないでもない(どーでもいい)。