勉強の仕方

大人になっても、勉強の仕方がわからない、というひとが意外に多いことに驚かされる。

というか、これはほんとうに理解できない。勉強の仕方がわからない???私はあなたが何を云っているのかわからない。勉強したいんだったら、勉強したらいいじゃん?何か迷うことや、難しいことがあるのだろうか?日本国民の大多数は義務教育を通過してきているわけで、正直なところ、「以前、歩いたことはあるんだけさ、歩き方忘れちゃったよ」とか、そーゆーレベルの話しである。おそらくではあるが、その真意は「効率のいい勉強の仕方がわからない」とか「結果が出せる勉強の仕方が分からない」といったことが云いたいのだろう(と思う)。

勉強の仕方や勉強すること意義、自分にとってどういう意味があるのかは、義務教育の間に学び取っておくべきものだ。教えられるものではない。勘違いしてはいけないが、これは自分が学び取るもので、教えてもらえるものではないのだ。勉強の仕方がわからないと嘆くひとは、結局のところ、努力を積み上げるのがめんどくさいと云っているだけで、要領よくやるやり方がわからない、と云っているだけだ。最初から要領よくできるひとはようするに才能がある人であって、勉強に限らず「才能がないひと」は、ただもくもくと積み上げるだけである。早く走れないなら、歩いて進めばよい。結果として、才能がある人よりも遅くはなるだろうが、どこかには到達するだろう。何か、わからないことがあるだろうか?やるかやらないかの世界である。歩き出さない人に走り方を教えても意味はない。

ちなみに、勉強の仕方がわからないと嘆く人の大半が、「わかった振り」をする傾向がある(ように観察される)。わかった振りをすると結果、脳みそが騙されて、それ以上勉強しなくてもよいのだと勘違いする。これを繰り返すと、勝手に脳みそがわかった振りをして、自分がどこまで理解していてどこから理解できていないのか、理解の最前線が曖昧になる。つねに自分がどこまで理解できていないのかを把握しておくことが大切である。