システムというもの

「お手上げです」と云わないのがプロのプロたる証だとすれば、システム保守の現場は、あまりにも考え方が違いすぎる。

システムはいちど稼働すれば「間違いなく」動き続けるものだというのは誤解である。むしろ、あんなものが「間違いなく」動き続けていることに驚嘆する。考えてみてほしい。臓器の位置も、構造も、成分も、働きも、血管やリンパの走行すら個別に違う人間を、「全部説明書に書いてあるから、治療よろしく」と云われて十全に治療できるとでもいうのだろうか。間違いは許されず、万が一説明書に書いてなければ、仕組みがどうなっているかはまったくわからない。わからない部分を検査することはたいていのケースで許されない。これが、現代の病院で稼働している「システム」である。生物の複雑さにはとうてい適わないが、それでも複雑に絡み合っているという点で、一個の生物のようにも感じられる。

こんなものは理想論に過ぎないが、仮に100%の稼働を求められた場合、現場はどうなるか。過剰に保守的になるのである。欠けているドキュメントは許されないし、グレーな運用は明確にせずにはいられない。見通しが立たないことは引き受けられないし、契約外の仕事は絶対に手を出せない。極論ではあるが、100%を強要すると、多かれ少なかれ、現場は萎縮する。

どこの世界でも同じである。かつて、産科の世界で起きた問題は、いまもなお、形を変えて、いろんな世界をダメにしている。だから、これは医療の問題でも、ITの問題でも、ましては個別性の問題でも、なんでもない。リスクを過剰に避ける心理的な働きの結果であり、無理解の結果でもある。みんな、自分の狭い世界の外を、理解しようとはしていない。