ソーシャルメディアで目立とうとする迷惑行為

www.sankei.com

常々思うところだが、こういう「ソーシャルメディアで目立とうとする迷惑行為」と、いわゆる「鉄オタが写真撮るために自己中行動をとること」に、何か差があるのだろうか?うーん、よくわからない。少なくとも、ソーシャルメディアで目立ちたいと思わないひと、写真を撮るためにイノチ賭けてないひとからすると、等しく「タダのバカ」で括られてしまいかねない行為ではある。世の人の大半が、これらはどちらのタダの馬鹿、で済ましてしまうであろう。

ソーシャルメディアは人気の度合いを数値化できるところに意義がある。簡単に云ってしまえば、友達百人出来るかな、の世界である。過激なことをやれば視聴者が喜ぶ、だから過激なことをやる、という論理が、まかり通るのがこの世界だ。視聴率が上がる、視聴者数が増えるということは、ここでは正しいことであり、絶対的な評価基準のひとつでもある。だから、ユーザは、ルールに従ってまっとうに評価されようとしているだけなのだ。ほらさー、クズほど仕事が出来る、っていうじゃーん?みたいなー。まあ、どんな手段を使っても「評価される」方法を採っているだけで、非常にわかりやすい基準に従って仕事をしている、実はただそれだけのことで、その点ではきわめてシンプルかつわかりやすい、とも云える。

つまり、他者から評価されたい、という承認欲求が、行動力の源泉であると推測される。数字で評価されるため、非常にわかりやすい。また、どのようなことをしたら数字が稼げるのか、これまた非常にわかりやすい。まあ要するに、ソーシャルメディアにハマっているひとは、同じようにワーカホリックにもなりえると推測される。このふたつは完全に同じものにはなりえないが、ひとの承認欲求がいかに強く、またそれに振り回される人がいかに多いかという、よい証左であろう。