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三角柱と私

「悪いあの人」、「かわいそうなわたし」。
アドラー心理学の有名な「三角柱」、その二面に書かれていることばです。最後の三面目には、「これからどうするのか」と書かれています。「悪いあの人」、「かわいそうなわたし」に注目しているかぎり、「これからどうするのか」を見ることはできません。

negativeなひとは、たいてい「悪いあの人」「かわいそうなわたし」を強調しますが、軽い愚痴レベルならまだしも、そんなことをえんえん聞かされても不愉快なだけだという基本的なことがわかっていないひとがいます。というか、あまりにも自分自身の承認欲求が強すぎて、そこまで気が回らない、と云った方がいいのかもしれません。少なくとも、私の周囲の人には、そんなタイプに思えるひとが幾人かいます。

愚痴を聞いてほしい、聞いてもらえればすっきりする、という主張を時折耳にしますが、それは相手の関心が自分に向いていることを一時的に確認して浸れる、安易な自己満足に過ぎません。自己満足することはとても重要なことですが、安易に承認欲求を満たすタイプの自己満足は、たいていの場合、害毒しかもたらさない気がします。

このタイプのひとは、あまりにもかわいそうな私を連発するので、「ああこのひとはかわいそうなひとなんだな」と思って「かわいそうなひと」扱いすると、それはそれでイヤみたいなんですよね。。。相手の関心が自分に向けられていることが大事なので、愚痴をこぼしている間は、相談しているわけでもなんでもない、ただ自分に関心を向けてほしいだけなのだな、と理解しています。そして、相談されている場合は、過去に何があったかはさほど重要ではないと思うので、過去の「かわいそうなわたし」を話している間は右から左に聞き流しています。

そういうひとと話していて、「これからどうするのか」に話しが及ぶことはきわめて稀ですので、それであまり困ったことはありません。みんな、すっきりと自己満足されている。ほとんどのケースで困るのは、時間を喰われたわたしだけ、です。