伝えること

伝えることと伝わることは違う。

では、そのどちらに「責任」があるのだろうか?個人的には、「伝える側」にあると思っている。何らかの意図を持って「伝えよう」としているのだから、伝わったことを確認するまでが大切だ。伝えっぱなしでは意味がないし、もちろん伝わっていなければ意味がない。

教育というものが本当に存在するとして、それはたぶん、概念的には「教える側」に責任がある。だが、学ぶ側に意欲がなければどう頑張っても「伝わらない」じゃないか、という反論はあるだろう。もちろんそうだと思う。個人的には、そういう学ぶ意欲のないひとは、切り捨ててよいと思う。別のひとに伝えればよい。

お客様は神様です、なんて考え方は嫌いである。というか、なじめない。お金を払っているんだから、とうそぶきながら横柄な態度をとる客がいるが、金だけ握りしめて、そこらへんで野垂れ死ね、といつも思う。サービスを売る側にも、売る客を選択する自由があってよい。当然、「教育」にも、教える相手を選ぶ自由があってよい。

以前にも書いたが、「教育」なんて幻想だと思う。つまり、みんなが思い描いている「お綺麗な教育」は。