人間ピラミッドと甲子園

前から何度か云っているけれども。

人間ピラミッドも真夏の甲子園も、「感動」というものを勘違いしたひとたちの共同幻想である。高校野球が感動的であるなら甲子園でやる理由がないし、夏の炎天下の中でやる理由もない。高校野球は「夏の炎天下の中」「甲子園球場で」やらないといけないと思っている人たちがいるなら、それは高校野球に感動があるわけではなく、嗜虐的な環境下で「頑張る」ひとたちをみることに価値を見いだしているだけだ。そんなセッティング等関係なく高校野球には価値があるし、別に甲子園でなくとも全国から勝ち抜いた猛者たちが鎬を削るシチュエーションはすてきである。

まあ、甲子園には「甲子園であること」に共同幻想が成立しちゃってるので、それはそれでシンボルとしての価値があるわけだけれども。

ところで、ピラミッドの下段にいるひとたちは上から圧力に負けて崩れちゃったわけだけど、あの人間ピラミッドってつくづく社会の縮図だなあって思うよね?あんなものを体育の時間に教えるというのは、要するに社会とは上下関係に厳しく理不尽なことがまかり通っていて、大勢の人間がごく一部の人間を支えていて、下の方にいるひとたちはひたすら耐えて隷属するしかないということを教え込んでいるわけですよねおつかれさまですすごく的確な教育ですねアハハ。