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経験する自己と記憶する自己

私はあまり記憶する自己に対して頓着しない方だと思う。

ある研究では、「凄まじく苦痛な手術があるが、手術後、まったく記憶が残らないならば、その手術を是とするか?」聞いてみたところ、多くの人が、「記憶が残らないなら気にしない」と答えたそうだ。ここでは、経験する自己の価値は相対的に低く、記憶する自己の価値が相対的に高い。ほとんどの人は、この「あとから思い起こしてどうだったか」に、判断の重点を置いている。

私自身はどうかというと、たしかに記憶に残らないなら大して気にしないかもしれないな、と思いはする。しかし、だからといって経験する自己がおざなりになってもよいわけではない。

観光するときに写真を撮るひとが大勢いることに驚きを隠せない。デジタル化されて手軽になり、この傾向に拍車がかかっているのではないかと思われるが、そんなに思い出を残すことが重要だろうか?記憶に残らないなら意味がない、と考えるひとまでいるそうだ。わからないでもないが、少し不思議である。

ただまあ、おおむねブルベを走った後とか、楽しい記憶しか残らずに走っているときの苦痛は忘れてしまうので、そんなものかなとか思わないでもないのだが。