BRM822 宗谷岬600 その3

いちおうエスケープの手段がないか、DNF連絡したときに聞いてみた。やはりこの周辺は、エスケープ空白地帯のようだ。公共の交通手段がない……もしくは、部外者にはわかりづらいくらいに乏しい。(バスはあったかもしれない)

輪行袋はとうぜん持っていたので、交通機関さえ確保できれば、エスケープは可能だった。問題は、インフラがない、という、根源的なところにある。

とりあえず、主催者にDNF連絡したときに、仮眠所に逃げ込むエスケーププランを聞いてもらった。もしかすると、命の危険を訴えて泣きつけば回収してもらえたのかもしれないが、そんなことは絶対にしたくない。ブルベではリタイヤ後の去就も含めてすべて自己責任だ。ブルベに参加している走者は、すべて私的なサイクリングをしていると見なされるので、リタイヤしようが何しようが、すべて自己責任なのである。(つまり、取り返しがつかなくなるところまで踏み込んでしまっても自己責任だ)

とりあえず、稚内まで走れないならそれしかなさそうだね、ということになった。んじゃ、いまからゆるゆる山越えていきますのでよろしくお願いします、ということで、おもむろに山越えに取りかかった。そもそも平坦より山の方が好きだし、北海道の山はそれほどきつい斜度はないようだ。2、300mくらいなら、意識しなくても登れる。

結論から云えば、山はなかった。というか、山を越えた意識がなかった。下り始めてから、あれ、どこに山があったの?と思ったくらいだ。

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するっと佐久駅まで出て、そのまま宗谷本線添いに音威子府へ。佐久駅を越えてしばらくしたところで、日が暮れた。たしか日の入りが18:15くらいだったはず。日が落ちて、人家もほとんどなく、車もほとんど通らない。一直線に続く道があり、道路の上には道路の境界を示す雪国独特の「↓」がある。赤く、ぽちぽちと光っており、遥か彼方にまで続くぼんやりと赤い矢印は、なんというか、すごく怖かった。

霧雨のような、細かい雨が降り始めた。日が落ちると、途端に気温が低くなった。汗をかいて濡れたインナーが、冷えてずしりと重たくなる。足はまだ回るが、力を入れると痛むのは変わらない。風は相変わらず向かい風だ。残りの距離は、およそ50km。つくづく祟られるな、と思う。

音威子府に到着したときには、すでに20:00前だった。閉める準備をしていた近くのスーパーに駆け込んで、頭を下げて食べ物を売ってもらう。