国立競技場の怪 その2

別にシリーズ物にするつもりはないのだが。

国立競技場の予算が高い、選考ミスだ、云々。2500億という施工費用は、果たして高いのだろうか?

高いに決まっている、と即答できるひとは、おそらく建築関係のご職業ではないかと推測する。一般人には、まったく判断できないはずだ。金銭的な感覚、建築に関する知識、デザインと技術的な可否についての下敷きがないため、一般人にとって「2500億」という数字は現実感のあるものではない。

では、なぜ「高い」と判断されたのだろう?なぜ、みんな口を揃えて「高い」というのだろう?

ひとつは「マスコミが高いと云っている」だろう。判断基準がないから、誰かが高いと云えば、なるほど、それは高いのか、とひとつの基準が出来る。もうひとつは、当初の予算が「1300億」(だったっけ?)だという、「当初の予算」と比べて高いのかどうか、という基準だ。この数字は、2500億という数字が高いのかどうかについて、ひとつの基準となっている。

さあ、この2500億という数字は、「本当に」高いのか?

一般人がこの数字を判断する際には、いくつかのすり替えが起こっている。国立競技場の価値を見積もって、2500億は高いと考えている一般人はいないだろう。2500億はダメで1300億ならOKという合理的な説明が出来る一般人はまずおるまい。

個人的には、1300億という数字がどのように算出されたのかわからないので何とも云えないが、1300億という数字が妥当なものだとして、やはりプロジェクトとしては失敗であろうと思う。会社員なら、首が飛びかねないレベルだ。そんなプロジェクトを、経営陣の前でご開陳できるサラリーマンがいるなら、見てみたい。そういう意味で、失敗だったと思う。

ただ、とても怪奇だ。
それは国立競技場ではなくて、みんなの意見が「高い」というひとつの流れを作って滔々と流れていく様が、とても不思議に感じられるのである。