保守的であること

日本人は保守的であるとよく云われる。本当だろうか。

保守的であるとはどういうことだろうか。辞書を引いてみると、おもにふたつの意味があらわれる。

  1. 古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し,急激な改革に反対すること。 ↔ 革新
  2. 正常な状態を保ち守ること。

日本人は保守的である、という文脈で用いられる「保守」は、とうぜんながら(1)である。変化を好まない、といってもいいかもしれない。もっと正確に云えば、変化の末に生じるデメリットに敏感なのである。何をするにしても、まず「損失」の存在におびえている。こういった傾向が観察される。

この傾向を云い換えるなら、「損失回避傾向が強い」といってもいいかもしれない。これはほぼすべての人間に共通の傾向だが、メリットが個人に与える心理的な影響は、デメリットよりも「相対的に低い」。人間は、まずもって「損失」を回避しようとする傾向があるのである。従って、損失回避傾向が強い人間は、メリットかデメリットのどちらかをもたらす変化を、基本的には好まない。日本人は保守的である、というテーマが真であるなら、日本人はおそらく損失回避傾向が強い民族なのだ。

このような土壌では、有益な改革は既得権益につぶされる。イノベーティブなベンチャ企業は育たない。発生確率のわずかなデメリットに、必要以上に加重を振ってしまう。つまり、起きる可能性の低いデメリットに、過大な注意を払ってしまう。あなたは、「この手術は10%で失敗する可能性があります」と説明されるのと、「この手術は90%の可能性で成功します」と説明されるのと、どちらがよりデメリットを感じるだろうか。手術の結末が失敗と成功のふたつしかないと仮定すれば、このふたつのアドレステーマは、同じことを表現しているはずだ。

私自身は、日本人は保守的であると感じている。それは私自身が、この文脈において、保守的であると感じることも理由のひとつではあるし、世間のニュースを見ていても、そう感じる。よくも悪くも、日本人は保守的なのだろう。