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沸いて出てくるデマと、作り上げられるデマ

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かなり恥ずかしいといってもいい。わー、はずかちー。

もちろんこのバカバカしい考察がすべて真実である可能性もありえるが、単なるこじつけである可能性の方が高いだろう。もちろん、誰もまともに考察しておらず、最初からネタとしておもしろおかしく創作しただけだ、という言い訳もありだ。マジレスすんな、というやつだ。問題は、「単なる創作」がここまで大きな規模のコミュニティを作って、世間様に流布してしまったことだろう。

この話は、じつはノストラダムスなどの予言とほとんど似た構造を持っている。つまり、「もっともらしいと受け手が感じ」、「受け取った情報が生理的に拒否反応を示さない集団が一定数存在する」ことが重要な要素として観察される。ここで一番重要なことは、「もっともらしい」ことだ。どんなにばかばかしくっても、ありえるかもしれない、という可能性があればそれでよい。それだけで、批判的に情報を吟味することをしないひとには十分である。まわりに同じような話しをするひとが増えれば増えるほど、情報への親和性があがり、批判的な精神活動は鈍くなっていくので、あるときを境に、爆発的な情報の拡散が起こる。

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例を挙げるときりがない。

これは「◯能力は実在する!」であってもいいし、「心◯写真は実在する!」でもいいし、「◯◯◯人の陰謀が……」とか、「ほにゃらら委員会が裏で世界を……」とかでもいい。「人類は月に行っていなかった!」とかでも、あまりにもバカバカしくっていいかもしれない。ある人にとってバカバカしくって雑談のついでにつきあうのすらめんどくさい、という話しでも、別の人にとっては「なるほど……」という話しもありえるからだ。一度「なるほど形成」がされると、それを補強するネタはすべてもっともらしい相互作用が生じるので、どんどん補強されるというスパイラルが生じる。そして、自説を否定するネタは、無意識に除外される。例外はない。どんな人でも、基本的に、信じたいものを信じる精神活動をしているからだ。批判的な精神活動がつねにこの「信じたい精神活動」を監視しているから、表面上は批判的な態度が観察されるだけである。

ただし、世にもバカバカしい話を馬鹿にできるかどうかは、私にも自信はない。私にとって、この元ネタがあまりにバカバカしいので、最初から「馬鹿じゃねーの」と思って見ているので、私がこのネタを信じることはまずないと云えるが(それこそ自白でもない限りは信じることはないだろう)、たとえば、もっと違う、批判的に吟味することの出来ない分野のトンデモ話なら、無批判に受け取ってしまうかもしれない。

この話しは、バカバカしい話しではあるが、それほどバカバカしい話しではなく、じつは「なぜこのようなことが起きるのか」を真剣に考えるべき話しなのである。たぶん。