仕事と文化

文化を共有できないものどうしで協調して仕事をするのは困難を伴う。不可能ではないが、いばらの道だ。

「文化を共有できない」と書いたが、具体的には、「思考の背景を共有できない」という意味合いに近い。たとえば、「患者第一」という思考パターンと、「コスト第一」という思考パターンでは、おのずと診療に差が生じるだろう。コスト第一とはけしからん、と思う向きもあるかもしれないが、病院とて経済活動をしているので、コスト意識が欠如していては立ち行かないのである。公的な病院は独立採算で動いているので、とうぜんのことながら黒字でなければ、いずれ医療の提供そのものがストップしてしまうだろう。

おそらく、一般的な病院の使命は、「医療を望むひとに」「半永久的に」「医療を提供すること」であろう。そのためには、黒字であることが必須なのだ。コスト第一はたしかによくないが、コストを意識しない医療はありえない。

だが、「患者第一」というバックボーンをもつひとと、「コスト第一」というバックボーンをもつひとが、共同で診療を行うとどうなるか。お互いに細かいところでひっかかりあう、微妙な関係になる。あるとき何かのきっかけで、そのひっかかりが表面化するだろう。お互い理解しあえればよいのだが、不幸にもお互い譲ることができない場合、協調は絶望的である。これはもう仕方がないだろう。

このバックボーンが具体化したものが、信念である、と言い換えてもいい。さらにこれが具体的なイメージを伴って大衆に普及したものが宗教かもしれない。

グループで仕事をする場合、なによりも大切なことは、文化を共有することだ。そうすれば、お互いの判断を尊重できる。逆はない。残念なことに、ビジネスの世界に、思考の背景が違うものどうしがどつきあって理解しあうという概念は存在しない。そんな暇など、ないのである。

(まあ、しょせん齢20超えちまえば、思考の背景の修正なんかできねーよ、という意見もある)