不惑

不惑。40歳を示すことばだが、自然と惑わなくなるのではなく、「而立した結果、惑わなくなる年齢」ということだ。

而立は30歳の異称だが、「三十にして立つ」ということである。つまり、学問の基礎ができ、自分で立つことが出来るようになった、ということだ。ここからわかることは、つまるところ30歳代にしこたま考えて勉強して、40歳になったら自分の目標に向かってブレずに突き進めるように準備しとけよ、ということなのだろう。

あくまでも、自然と惑わなくなった、ではなく、「成熟し、惑うことがなくなりました」という、努力の結果としての不惑である。何も考えずに生きてきて、ある日ふと惑わなくなりました、ではない。何も考えていない日々は、何も生み出さないし、成長することもない。

これはつまるところ、何者になりたいのかという生き方の問題であり、仕事に対する心構えの問題であり、個人の精神の成熟度合いの問題でもある。不惑とは、おそらくそういう意味の言葉なのだろう。

ちなみに私は30歳代であり、これは本を読んで自虐的に感じたことのまとめである。日々の仕事で忙殺されて、なんとまあ、適当に生きてきたことよ、と思うわけだ。。。