やればできるか?

体育会系の風潮を嫌うひとでも、「やれば出来る」ということばが嫌いだとひとにはあまり出会わない。やれば出来るだなんて、根性論以外の何ものでもないのだが、意外なところである。

「やれば出来る」とは美しい言葉だと思うが、現実は「やっても出来ないことはある」である。たとえば、順位をつけるような競技でトップをとることは容易ではないし、やってもやっても達成出来ない状況は起こりえる(もちろん達成出来るかもしれないが)。困ったことに、「やれば出来る」ということばは美徳に近いものとして認識されているため、潜在的にこれを信じているひとはとても多い。「いや私は信じていませんよ」というひともいるかもしれないが、そんなひとでも「希望」を否定されるのは不愉快だろう。

「いまは本気を出していないだけ」というのも面白い。これは「やればできる」の言い換えである。ようするに、「希望」である。問題は、「希望」を鼻先にぶらさげられて走り続けて、壊れてしまうひとがいる、という点だ。

英語にはいいことばがある。私は、これこそが頑張っているひとに送るにふさわしいことばだと思うのだ。
Good Luck!

(日本語的に云えば、「ご武運を」くらいかな?)