日常作業における記憶術の無意味さ

記憶力はもっとも大事な能力のひとつと云ってもいい。応用範囲もとても広い。だから、記憶力を鍛えるためのさまざまな方法が考えられ、実験されている。しかし、これといって強力な決め手がないのが現状だろう。

何か珍しいもの、おかしなものに関連づけて記憶を固着させようと云う試みが、いわゆる記憶術というものだと理解しているが、これは「うっかり忘れ」にはまったく役に立たない。少なくとも、私には無意味だ。鍵の置き場所を「うっかり」忘れて探しまわることが時々あるが、このように、「あれ、どこだっけ?」というときは、完全に「意識の埒外」のことであり、そもそも意識してなかったから「うっかり」置き場所を忘れたのだ。最初から意識していれば、最初から覚えているに決まっている。

少なくとも、記憶力には二種類あるのではないかと思うが、おそらく意識的に覚えておこうとする記憶力(長期記憶?)にはそれほど個人差はないのではないかと思う。問題は、短期記憶をどれだけ大量に、効率よく、開けたり閉めたりできるか、というところだ。ここを鍛える方法こそ、話題にすべきだと思う。

ちなみに、学校教育は長期記憶をひたすら鍛えることばかりやっているが、長期記憶なんておおむねデジタルツールで代用可能なので、あまり意味がない。わからんかったら、調べたらええねん。