読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

エボラ疑い例を公表することに意味があるのか?

リベリア・ギニア・シエラレオネに渡航歴のある発熱患者をすべて公表する方針のようだが、意味があるのだろうか?

潜伏期間2日〜21日、平均11日程度だったと思うが、このような感染症を水際で止めるのは不可能である。また、自己申告で渡航歴をしゃべらせるのも(徹底することは)不可能だ。患者がいつも必要な情報を必要なだけしゃべってくれると思っているなら、それはやはり医療現場をわかってないと云わざるを得ない。医療者もまた、この患者は渡航歴があるのではないかと疑ってかからねば、見落としが生じることになる。

数が少ないからこのような対応が取れるわけだが、果たして意味があるのだろうか?公表して、誰に、どういったメリットが生じるのだろう?社会的なメリットは皆無と云っていいが、それでも国民が求めているからといってそれに応じてしまうのは、すこし問題かもしれない。

大衆という集団は、ぼんやりと間違える。先頭に立つ一部の人たちには行き先が見えているが、それに続く人達は、おおむね前が見えていない。結果、国民という大集団は、一部の人たちと、それに続こうとする集団で構成され、国は、ただの国民の集合体でしかないから、国が誤る、という結果になる。

いまの体制が間違っているとは断言できないが、すでにプチパニック状態なのは否めない。知る権利があるなら、その権利の裏側に生じる義務はなんだろうといつも考えさせられる。