走り続けないと止まってしまう仕組み

LINEやFacebookTwitterもそうだが、これらのサービスはすべて、「自分の人気度」が数値化されるという特徴を持つ。そして、活動すればするほど数値が上昇していくという部分が共通している。これらのサービスはSNSソーシャルネットワーキングサービス)と呼ばれ、狭義には、人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型の会員制のサービスと定義されるが、それはすなわち社会における自分のつながりの程度を可視化するためのサービスと云ってもよい。

最近話題になっている、Twitterでモラルに欠ける「おふざけ画像」が投稿される理由は、それほど不思議ではない。つまり、彼らは身内でネタを提供し合って盛り上がっているだけに過ぎないのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。彼らは学校の教室で昨日あった出来事を話し合っているだけで、「昨日、こんな面白いことがあったんだぜ」といって、写真を見せ合っているだけに過ぎないのである。いま大人になって分別がある振りをしているひとたちも、そんな経験ないだろうか。

たばこの煙をふかしながら「昔はやんちゃしたもんだぜ」とか何とか云って得意げに語るインモラリストの現代版が、ネット上でそういったおふざけ画像を公開している若者である。そこにはなんの不思議もない。ただ仕組みと背景がすり替わっただけで、結局の所、友達というコミュニティの中で自分の立ち位置を確認し、自分の数値を落とさないために努力しているだけに過ぎない。彼らにとって、「あいつ、最近飲みに行かなくなったよな、友達付き合いが悪いよな」という評価を具体的な数字で突きつけられないために、必死で努力しているというだけだ。テストで悪い点を取らないために頑張っているだけなのだ。

SNSはすべて例外なく、数値で自分の交友関係の範囲を可視化する。その数値は、利用者をかなり具体的に縛る。Twitterも真面目にやると疲れるというが(真面目にやったことなどない)、そのようなサービスはこれからもなくならないだろう。そして空気を読むことを大切にする日本人は、これからもずっとそのようなサービスに疲れながら、共存していくだろう。それはかつてあった村の空気の現代版であり、要するに昔から何も変わってないということなのだ。